かつて日本は“モノ作り大国”と呼ばれていた。もう一度、あの栄光を取り戻すには? あるベテランエンジニアが語る
中根隆康さんといえば、人気連載コラム「組み込みギョーカイの常識・非常識」を執筆された方だ。組み込みソフトウェア開発の世界を知り尽くしたベテランエンジニアである。東に進まない組み込みシステムのプロジェクトがあれば、行って「問題は何か」を解明し、西に途方に暮れた組み込みエンジニアがいれば、行って進むべき道を示す。ご本人はフリー・アーキテクトと称されるが、実際には、株式会社ネクスト・ディメンションという会社の取締役社長を務めておられる。
中根さんは、長きにわたって組み込みソフトウェア開発に従事し、その楽しさ、厳しさをまさに身を持って体験してこられた。いわば中根さんそのものが生きたナレッジというわけだ。その貴重なナレッジをインタビューを通じて引き出させていただこうというのが今回の連載企画の趣旨である。
聞き書き役は、私、フリーランスライター 吉田育代。組み込みソフトウェアにはまったく明るくないのだが、その方がかえって話をしやすいかもしれないと、中根さんは寛容にもOKを出してくださった。これから組み込みソフトウェア業界に飛び込もうとしている学生か何かになったつもりで、大先輩の話に耳を傾けていきたい。
さて、前置きが少し長くなったが、中根さんの人生と組み込みソフトウェア業界の来し方、現在、そして彼が来ることを願う未来の話を始めよう。
私たちにとって、中根さん = 組み込みソフトウェアエンジニアというイメージがあるが、意外にも社会人としてのスタートは、組み込みとはまったく違うところにあった。就職したのは、大手国産メーカーグループのエンジニアリング会社。システムエンジニアとして最初に担当したのは科学技術計算だった。汎用機を相手にFORTRANを使って、力学の解析や原子力の構造解析などを行っていた。そのうちに汎用機で動くデータベース「Adabas」を扱うようになったのだが、UNIXワークステーションが登場した後は、これからは分散システムの時代だとUNIXやC言語を勉強するようになったという。Adabasを知っていたのがきっかけだったのかもしれない。そこでもデータベース担当となった。具体的にはリレーショナルデータベースである「Informix」を使ったソリューションを開発、その販売に携わったのである。
やがて、こうした経験の積み重ねから、中根さんは上司にあるプロジェクトへの参加を求められることになる。それは、データベースそのものを開発する仕事であり、しかも特殊なデータベースだった。ある設計部門が回路図を入れるデータベースが欲しいといってきたのである。回路図を画像認識で取り込んで、パーツに分解して、レイアウト情報とともにデータベースに格納する。当時の汎用データベースを使ったのでは、そのような複雑なことはできない。そこで中根さんたちは、データベースを外資系の汎用機上に作ることにしたのだが、回路図がうまく画像認識されたかどうかを確認するためにUNIXワークステーションも使うといった画期的なプロジェクトだった。
規模そのものも相当大きなもので、外資系メーカーの汎用機数台、国産メーカーの汎用機数台を接続して利用することになった。システム構成上、データベースは外資系メーカーの汎用機側に置かれたのだが、国産メーカーの汎用機からも外資系メーカーの汎用機上にあるデータベースを見にいく仕組みが必要とされた。機種の異なる複数の汎用機を接続する通信プログラムである。当時、アセンブラでなければ到底組むことができなかったこのプログラムの作成を担当したのが中根さんだった。そのエンジニアリング会社に就職して10年たつかたたないころである。
それがアセンブラと向き合った最初かと思った。しかし、実はそうではなかったらしい。中根さんは高校を卒業した後、一度就職している。そしてなぜかコンピュータをやりたいと突然思い立ち、技術系の専門学校に入学したのである。そこは学生がCOBOL、FORTRAN、ALGOLなど幅広い言語を経験することを推奨していたのだが、いろいろ見た中で中根さんが専攻したのがアセンブラだったのだ。こういってはなんだが、アセンブラは門外漢からすると地味な世界である。なぜあえてアセンブラを選んだのだろう。
「当時見た汎用機には、いろいろな周辺機器が線でつながっていました。ディスク、磁気テープ装置、紙テープ装置。コンピュータとこれらの機械とのやりとりがどうなっているのかすごく気になって、チャネル? それは何だ? アセンブラを勉強すれば分かるんだな? という感じでした。根本を突き詰めたかったので、私にとってはやるなら“アセンブラ”でした」
故に、回路図データベース開発でアセンブラに携わることになったのは中根さんとしてはうれしい巡り合いで、喜々としてプロジェクトに取り組めたらしい。ただ、一般的には行わない通信方法のため、その実現には苦労した。2種類の汎用機ともに詳細な資料が必要で、両者にその提示を求めた。国産メーカーからはたやすく獲得できたのだが、外資系メーカーは本社とやりとりしなければならなかった。英文でなぜ資料が必要かを詳細に説明して本社に送ったら、長い時間かかった末に英文で資料が送られてきた。それを苦労して翻訳しながら開発を進めた、と中根さんは笑う。
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