――学生時代から小型衛星の設計や宇宙材料の研究をしていたと聞きました。きっかけは何だったのですか。
石川知寛氏(以下、石川氏) 父への反発心ということになるでしょうか。子供のころの私にとって父は何かとうっとうしいと感じる存在だったので「父を超えて黙らせたい」という思いがあったのです。私の父は航空機のエンジニアだったのですが、「父が航空機の仕事なら自分は成層圏を超えて宇宙の仕事をしたらいい」と思い立ったのが宇宙の研究者を志すようになったきっかけです。高校2年までは文系でしたが、理系に変えて宇宙の勉強を始め、兵庫県立大の工学部在学中に、飛行ロボットベンチャーの創業に参画しました。
――そのスタートアップ時代にドローン研究が始まったのですね。
石川氏 はい。2009年に関西電力から送電線の鉄塔を点検するVTOL(Vertical Take-Off and Landing Aircraft:ここでは現在のドローンと同種の飛行体を指す)開発を依頼されたのがきっかけです。ただVTOLの飛行の原理自体は理解できたのですが、鉄塔の高さに相当する上空60m地点では風の影響を受けて、思うようにドローンを制御できず、結局3年かかっても事業化には至りませんでした。ただ、屋外では難しいけれど屋内なら使える道もあるのではないかと思い、東大阪市のネジ工場の会長に「在庫倉庫のチェックにドローンを使いませんか」と営業に行きました。ですが結局「君、もっと地に足を着けて仕事をしなさい」とたしなめられてしまって……。
――自信を失いかけたのですね。
石川氏 ただちょうどその頃、転機が訪れます。2010年に小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰ってきたとき、地球に帰還する様子を上映する試写会があって参加しました。その試写会場で、ある女性が「こういう惑星探査ももちろん必要だけど、私は明日の天気を100%当てる技術の方がほしい」と言っているのを耳にして、はっと気づいたのです。
――どういうことですか。
石川氏 それまで知り合いに「宇宙を研究する仕事をしている」と言うと「夢があるね」とか「すてきだね」とかいわれていましたが、私自身は「すぐには役立たない研究をしている」という風に、なんだか皮肉を言われているような気分を漠然と味わっていました。それが女性の言葉を聞いた瞬間「自分も目の前で困っている人の役に立つような仕事をしたい」と感じ、それまでの漠然とした思いが確信に変わりました。
立ち上げたベンチャーを辞め、この地球上には他にどんな課題があるのかを知りたいと思って医療機器メーカーに入社しました。ただその時も「いつかは宇宙研究の資産を役立てたい」という思い自体は持っていて、それらの知見や技術を基に人の役に立ちたいと考えていました。
その後、産業用ロボットの導入支援を手掛けるベンチャーの技術営業職に就き、東京のシェアハウスで暮らし始めた2016年春、もう1つ、人生の転機となる出会いがありました。
――どんな出会いですか。
石川氏 ルームメートで看護師の女性と話していたら、「毎日、何人もの入院患者の髪をドライヤーで乾かすのが大変。自動化できる方法があったらいいのに」としきりに言っていたのです。その時私は「ドローンを活用することで解決できないか」と考えました。
偶然、その年のゴールデンウイークに米国に行き、MIT(マサチューセッツ工科大)の学生と話す機会があったので、彼女の話をしたら、一気に話が盛り上がって。学生達と、ドローンが髪を自動で乾かすシーンをイメージしながら話しているうちに、「髪を乾かす最中、頭は動くかもしれないけど、両肩はさほど動かない」ということに気付きました。つまり、両肩に何かの信号を付けて、ドライヤーつきのドローンを制御することができれば、自動で髪を乾かせるのではないかという話になったんです。彼女の話を聞いていなかったら、今はなかったと思います。
帰国する飛行機の中で、ドライヤードローンの構想検討に着手しました。しかし、人のすぐ側でGPSを使わずドローンを制御することは想定よりはるかに困難だと気付きました。
ですが、ちょうどその頃に偶然参加したドローン関係のイベントで、物流会社の人から「倉庫の棚卸しをドローンでやりたいができるか」と聞かれたのです。ドローンは屋外だけではなく屋内でも必ずニーズがあると確信して「それなら非GPS環境下に特化したドローンの制御システムを開発する会社を起業しよう」と考え、「DMM.make AKIBA」にすぐ入居し、そのまま2016年10月にSpiralを創業しました。
「DMM.make AKIBA」はモノづくりの機材が整っているし、多くのクリエーターが集まっているので、部品調達など細かな相談もしやすいのが利点だと思いました。
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