2018年3月末に「勝者無し」という形で幕を閉じた月面探査レース「Google Lunar XPRIZE(GLXP)」。果たしてGLXPに意義はあったのか。最終段階まで苦闘を続けた日本のチーム、HAKUTOの8年間の軌跡を通して大塚実氏が探る。
月面探査レース「Google Lunar XPRIZE(GLXP)」が「勝者無し」という形で幕を閉じた。GLXPは、XPRIZE財団が2007年に開始した賞金レースである。目指したのは、世界初の民間による月面探査。しかし、最終段階では5チームが残っていたものの、どのチームも結局、期限である2018年3月末までに、打ち上げまでたどり着くことはできなかった。
GLXPには、日本から「HAKUTO」が出場しており、注目していた人も多かっただろう。だが、なぜ誰も成功しなかったのか? プロジェクトは失敗だったのか? 結論から述べると、筆者はGLXPについて、ルール上の勝者こそいなかったものの、十分その意義を果たした、と考えている。本稿では、そのあたりの事情について、解説することにしたい。
GLXPが注目された理由の1つは、懸けられた賞金の大きさだ。優勝チームに与えられる賞金の金額は、なんと2000万米ドル。執筆時の為替レート(1米ドル=107円)で考えると、21億4000万円ということになる。出資したのは、冠スポンサーであるグーグル(Google)だ。
これだけ聞くと、各チームは賞金目当てに参加していると思うかもしれないが、実態は異なる。基本的な事項として押さえておきたいのは、月面探査には巨額の予算が必要であることだ。まず問題になるのは、ロケットの費用。比較的安価なスペースX(SpaceX)の「Falcon 9」でも、公称価格は6200万ドル。他衛星との相乗りで安く抑える手もあるが、ランダー(着陸船)の開発費も必要であることを踏まえると、まず賞金程度ではペイしないことが分かる。
もうからないのになぜ参加するのか? その理由を知るためには、GLXPの前身といえる「Ansari XPRIZE」について触れておく方が良いだろう。
この賞金レースが目指したのは、民間による有人宇宙飛行である。XPRIZE財団初の賞金レースとして、Ansari XPRIZEがスタートしたのは1996年。当時、宇宙に行く手段は国家に独占されており、民間人が宇宙に行く手段は非常に限られ、費用もまた巨額であった(日本ではTBS社員だった秋山豊寛氏の例がある)。
そんな時代に、民間で宇宙船を開発するというのは、無謀にも思われることであったが、2004年、バート・ルータン(Burt Rutan)氏の率いるチームが開発した「SpaceShipOne」は、高度100km超のサブオービタル飛行に成功。人類史上初めて、民間開発の宇宙船が宇宙空間に到達した。
Ansari XPRIZEの賞金は1000万米ドル。機体の開発費は、これをはるかにオーバーしていたと推測されるが、SpaceShipOneの技術をベースに、英国のバージン(Virgin)グループが宇宙旅行ビジネスに参入した。残念ながら、大型化した機体の開発に難航し、商業飛行の開始は遅れに遅れまくっているものの、Ansari XPRIZEがきっかけとなり、現在の宇宙旅行市場の活況が生まれたといえるだろう。
Ansari XPRIZEの成功を受け、その3年後に始まったのがGLXPだった。GLXPは、Ansari XPRIZEと同じことを、月面で実現しようとしたものといえる。賞金を呼び水として、世間の注目を集め、世界中からチームが参加。競争する場を提供することで、民間による月面開発を加速させる。レースの形式は異なるものの、狙いは全く同じなのだ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.