従来、東南アジア諸国連合(ASEAN、アセアン)の10カ国のうち、タイ、ベトナム、インドネシアなどが話題となることが多かったが、最近はミャンマーやカンボジアにも熱い視線が注がれている。「新・新興国」と呼ばれるミャンマーとカンボジアのクルマ事情を、「電動化新時代!」の番外編として和田氏がリポートする。
ミャンマーとカンボジア。タイの左右に位置する両国は、今までどちらかと言えばあまり注目されていなかった。ミャンマーは、軍事政権下にあり日本からの交流が極めて限定的であり、カンボジアは、クメール・ルージュ(ポル・ポト首班)政権の後遺症もあって、農業中心の国というイメージが強いことが大きな理由になっていたと思われる。しかし、ここ2年ほどの間に、両国で急激な経済発展がみられるようになってきた。今回は、「新・新興国」と呼ばれる両国を訪れる機会があったので、クルマ事情のみならず、その背景や現地にて感じた肌感覚をお届けしたい。
えっ、まさか?
ミャンマーのヤンゴン国際空港からバスで走り始めて5分した頃である。ぼんやりと外を眺めていたら、ふとあることに気が付き、腰が抜けるくらい驚いた。それは、走っているクルマが日本と同じ右ハンドル(ほとんどが日本からの中古車)にも関わらず、日本とは逆の右側通行で走っているのである。「えっ、そんなバカな!」と。
そういう目で見てみると、魔訶不思議なことがたくさん目についてくる。例えば、バスは日本から輸入された車体が多い。昇降口は車両左側にあるので、降りる時は歩道側ではなく車道側となり、危険かつ使い勝手が悪い。
この対応策として3つのパターンがあるようだ。1つ目は、危険で使い勝手が悪いことを承知の上で、そのまま使っているケース。2つ目は、元からある昇降口に追加座席を設ける一方で、運転席の後ろに無理やりドアを作って昇降するというケース。3つ目は、左ハンドルのバスを用いるという対応である。
なぜこのようなことが起きたのかと言えば、ミャンマーは旧英国領であり、日本と同じく右ハンドル、左側通行の国であった。しかし、1970年代に軍政権が権力を握ると、英国方式を嫌い、無理やり右側通行にあらためてしまったのだ。ミャンマーの人々は、約40年もこの方式で生活しておりなじんでしまっている様子。現地でJETRO(日本貿易振興機構)の方と話した際も、「ミャンマーには高速道路がまだ少ないが、多くの高速道路ができると問題が大きくなるだろう。早く変えた方が良いのではないか」というコメントが印象的であった。
さて、既にメディアでも紹介されているが、現在のミャンマー事情を整理しておいた方が良いように思われる。JETROからのブリーフィングも合わせて紹介したい。
ミャンマーは1948年に独立後、長らく軍事政権が続いており、諸外国との交易は中国を除いて厳しく制限されていた。しかし、2011年3月、テイン・セイン氏が大統領が就任すると、従来と同じ軍出身ではあるものの、民主化、国民和解に関する前向きな動きが出てきた。
環境が著しく変化していることの象徴として、テイン・セイン氏による2012年9月の国連総会出席や、自宅軟禁されていたアウンサンスーチー氏の外遊許可がある。さらに、同年11月には、米国大統領のバラク・オバマ氏が、米国大統領として初めてミャンマーを訪問。2013年5月には日本の総理大臣である安倍晋三氏が訪問している。これに伴って、日米欧の多くの企業がミャンマーに進出し始めている。
今後の大きなターニングポイントとなりそうなのが、2015年に予定される総選挙である。選挙は、与党「連邦団結発展党(USDP)」と、アウンサンスーチー氏が率いる「国民民主連盟(NLD)」の争いになるが、その予測は困難である。結果次第で国内が揺れる可能性もあり、これが不安要素と言えるかもしれない。
では、今、なぜミャンマーなのであろうか。JETROのミャンマー担当者は次のように分析している。
<メリット>
<リスク>
これらの他に、人口の90%を占める仏教徒とマイノリティであるイスラム教徒の対立や、多くの少数民族を抱えることなど、すぐには解決できない複雑な問題が顔をのぞく。
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