当時は社内に寸法精度という言葉もなく、「1mmも0.5mmも同じ」「形状が悪けりゃ仕上げをすればよい」という考え方が支配的でした。久仁子氏は「最初から寸法精度の高いものを作った方が良い」とそれまで職人の技や勘に頼っていたモノづくりに対し、理論的な数値を把握できるモノづくりを提案・改善を行っていこうとしたのです。
ところが、古参の職人達から猛反発を受け、例えば、
「外から来た人間に、何が分かるんだ!」
と皆の前で口汚く罵倒されることになります。
ついには及川夫妻を支持する技術者グループと職人グループの間の派閥争いにまで発展していきました。そこには筆舌に尽くし難い痛み・苦しみがあったのではと推測します。
実際、久仁子氏はその当時を振り返って、
「夫は毎晩のようにうなされる日が続いた」
と述べています。
この争いは、何人もの人間が同社を辞めていくことで、終息に向かったのです。……そうです。「改革」と「痛み」。この2つの言葉には決して切り離せない関係があると筆者は感じます。
久仁子氏は入社当初から商品開発の業務にも携わっていました。過去の同社の商品開発方針は非常に受け身で、新規の顧客開拓にはとてもとても消極的でした。
さながら、
「すき焼き鍋の取手を四角から丸にする」
といったカタチの商品開発に終始していました。
バブル崩壊後の経営危機の中で先代の商品開発担当者が引退した後、久仁子氏は積極的にマーケティングでの商品開発を行っていきます。
その際、
「どういう材料で、どういう状況で、どういう人達が、どのように食事をする際の鍋なのか?」
ということを念頭に置き、それまでとは180度異なる顧客の視点・立場に立った商品開発・技術開発を志向していくのです。
さらに、その眼差しは国境を越えて欧州に向きます。ドイツやフランスの展示会では多くの顧客が及源鋳造の製品を
「デザインが素敵!」
「かわいい!!」
と称賛していきました。
欧州には日本人が持つ「南部鉄器=黒くて、重くて、高価な伝統工芸品」といった(企業経営上、決して有利とはいえない)固定概念がなかったのです。また欧州市場の大きさも魅力的でした。久仁子氏は伝統工芸品を扱う貿易商社の若手女性経営者や欧米の経営者達と交流することで積極的に顧客ニーズを獲得していきます。その結果、同社の製品は欧米を中心とした海外市場に、そのデザイン・芸術性と実用性を高く評価され幅広く受け入れられていくことになるのです(写真4)。
それは、同社の海外輸出実績が「ここ数年、年率40%で増加している」という事実からも伺えます。現在、同社は売上全体の内、およそ2割を主に欧州向けの海外輸出でまかなっています。
また、モノづくりの現場では、新たな加工技術・新製品として「酸化被膜の形成技術」「上等焼き」があります(写真5)。
これは製品の表面に均一で安定した酸化皮膜を形成することで錆び止めをする技術です。詳細は省きますが、これは同社の伝統的な熱処理の技法と「焦げ付きにくく」「錆びにくく」「調理中の化学成分溶出がなく安全」という顧客ニーズが結実した技術なのです。
2002年には高級紅茶などフランスの高級食料品の一大ブランドであるフォション本店(パリ・マドレーヌ寺院前)で及源鋳造のティーポットがポスターとして飾られるまでに至ります(写真6)。
これは東北・奥州の地で900年間、連綿と継承されてきた鋳造技術が、はるかな欧州の文化・ニーズを取り込むことで発展し、世界に冠たる「製品」を生み出したその瞬間だといい換えることができるのではないでしょうか。
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