「経験値大国」日本 〜SoIだからできる日本の経験値の活用〜AIとデータ基盤で実現する製造業変革論(3)(1/2 ページ)

本連載では、製造業の競争力の維持/強化に欠かせないPLMに焦点を当て、データ活用の課題を整理しながら、コンセプトとしてのPLM実現に向けたアプローチを解説する。第3回では、日本の製造業の強みである「経験値」の活用について考察する。

» 2025年06月27日 06時00分 公開

本連載について:

生成AI(人工知能)の台頭と技術革新の加速により、製造業の競争軸として「いかにデータを活用し、付加価値を生み出せるか」の重要性が高まっています。しかし、依然として非構造化データや紙ベースの情報が多く、異なる部門間でのデータ共有や業務の変革を促すレベルでの活用は困難な状況です。

さらに、地政学リスク、サプライチェーンの不安定化、環境規制の強化など、グローバル経済の不確実性が高まり、製造業に求められる柔軟性と俊敏性は、かつてないほど重要になっています。競争力を維持/強化するためには、「PLM(Product Lifecycle Management:製品ライフサイクル管理)」の実現が不可欠です。本連載では、データ活用の課題を整理し、PLM実現に向けたアプローチを探ります。

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1.製造業の強みである「経験値」により、PLMというコンセプトを実現する

 日本の製造業は、戦後の焼け野原から立ち上がり、幾度となく時代の波にもまれながらも、そのたびに独自の進化を遂げてきました。復興期には、国を挙げた工業化の推進と人々の勤勉さにより、短期間で国際競争力を持つ産業へと成長しました。

 1970〜80年代にかけては、製品の品質の高さと精緻な工程管理によって、「Japan as No.1」と称されるまでになり、世界の製造業を席巻しました。

 しかし、グローバリゼーションの波が押し寄せ、製造の拠点がコスト競争力を背景に海外へと移る中で、日本の製造業はあらためて、自らが「何を武器に戦っていくのか」「独自の強みとは何か」を問い直すことになります。そして、その問いへの一つの答えが、「経験値」という視点です。

 時代を超えて蓄積されてきた日本の製造業の知見――それは技術だけでなく、人、プロセス、組織、顧客に関する理解など、極めて多面的なものです。そして、これらは単なる成功体験にとどまらず、無数の試行錯誤や失敗から得られた学びも含まれています。

 例えば、開発段階では問題がなかったにもかかわらず、量産になった途端に性能が出なくなる事例や、製造段階で起こったミスをきっかけに工程全体を見直した経験、あるいは、現場の声を起点に設備投資の意思決定が覆された出来事、お客さま先で使われて初めて発覚する問題などが挙げられます。

 こうした知の堆積は、企業にとっての知的資産そのものであり、他社が容易に模倣できない競争優位の源泉となります。

 また、日本の製造業には、長寿命な製品を多く扱うという特性もあります。自動車や工作機械、産業機器など、10年、20年と使い続けられる製品群では、設計、製造、販売、保守、改修といった一連のライフサイクル全体を見渡す必要があります。

 アフターサービスやリプレースにおいても、数十年前の設計思想や材料選定の理由、当時の製造技術の制約、納入後のサービス提供の経緯といった知見が求められる場面は少なくありません。

 アフターサービスは収益の源泉であることが多いですが、顧客が製品を使い続けられるサービスを提供するのに必要な知見を有しているからこその価値と捉えると、別の観点からも「経験値」の重要性が見えてきます。

 だからこそ、競争優位であり、収益の源泉ともなる「経験値」を体系的に「活用」していくこともまた重要なテーマとなってくるのです。しかしながら、経験値はベテラン社員に集中して蓄積されている傾向があります。

 現場で長年働いてきた熟練者の中には、図面に表れない微妙な加工ノウハウや、設備ごとのクセ、さらには設計意図と現場対応の間で行われる調整などが、暗黙知として息づいています。われわれもお客さまから、ベテランの知見を後進の方々へ継承したいというご要望を、重要な課題として伺う機会が多くあります。

 こうした課題を解決する一つの考え方が、本連載の主題である「PLM(Product Lifecycle Management:製品ライフサイクル管理)」です。

 PLMは、単なる設計データの管理にとどまらず、開発初期の構想段階から廃棄、再利用に至るまで、製品の一生を見通す考え方です。さらに、その価値は単体製品のライフサイクルに閉じたものではありません。

 ある製品で得られた知見が、次世代の製品や別カテゴリーの製品開発に生かされることも少なくありません。つまり、PLMとは製品の一生を超えて、製品群全体の知見を横断的に活用するためのコンセプトであるべきなのです。

 その意味で、膨大な経験値を有する日本の製造業こそが、PLMというコンセプトを最も実践的に体現し得る存在であるといえます。

2.SoIだからできる日本の経験値の活用

 経験値を活用するといっても、それらがデータとして体系的に整理されている企業は、ほとんど存在しないのではないでしょうか。技術標準などに落とし込む仕組みがある場合でも、製品開発や量産立ち上げ、不具合対応といった個別案件における対応履歴の中に、経験値が埋め込まれていることが多くあります。

 これらのデータは、多くの場合「非構造化データ」、すなわちあらかじめ定められたフォーマットや構造を持たず、人間が見たり、読んだり、聞いたりすることで意味を成すデータとして保管されています。

 製造現場では、日報、作業指示書、点検記録、トラブル報告など、文書化された情報の多くが自由記述であり、さらに音声記録や写真、図面、ホワイトボードの書き込みといった、定型化されていない情報があふれています。加えて、それらが紙ベースで管理されているケースも少なくありません。

 こうした非構造化データを活用するには、ハードルが存在します。その一つが、データベースへの入力です。蓄積されたデータ量が多ければ多いほど、その作業は途方もないものとなります。

 非構造化データをデータベース化しておかないと、どのデータを参照すべきかを人が判断する必要があり、探し物に余計な手間が掛かったり、結果的に社内に経験があるにもかかわらずそれを活用できなかったりします。例えば、過去の設計変更の理由が議事録やメールの中にしか残っておらず、数年後の再設計時に同じ失敗を繰り返してしまう――といったことが起こり得ます。

 では、膨大な非構造化データを、手間の掛かる入力作業なしに活用するには、どうすればよいでしょうか。そこで注目されているのが、「SoI(System of Insight)」という概念です。

 SoIとは、多様な情報から示唆や洞察を得ることを目的としたシステム群のことを指します。従来のERPやPLMが「記録されたデータを管理する」ことを目的とした「SoR(System of Record)」であるのに対し、SoIは「データの海から意味や知見を抽出する」ことを目的としています。

 SoIの概念については次回に詳しく紹介しますが、AI(人工知能)や自然言語処理といった先端技術により、活用可能なデータの幅はここ数年で格段に広がっています。

 例えば、ベテラン技術者が参加する会議やレビューの音声を録音し、それをAIが要約/書き起こし/構造化することで、聞き直すことなく内容を活用できるようになります。また、設計変更の意図やトラブル対応の理由といった背景説明が重要な情報についても、チャット形式でAIに質問することで、必要なときに必要な情報を手軽に引き出せるようになります。

 SoIを構築する上で重要なのは、「データを記録する」こと自体を目的とするのではなく、「データから示唆を得る」ことに主眼を置くという、発想の転換です。つまり、データは何かを判断するための手段であり、判断を支えるエビデンスとして蓄積されるべきものなのです。

 そして、こうした活用を通じて初めて、「あの情報が足りない」「この項目を追記しよう」といった動機が現場から自然に生まれるようになります。これこそが、次の章で紹介する「データ活用の好循環」へとつながっていくのです。

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