Makerムーブメントの原点として高く評価され、再刊が望まれていた「ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け」が、「Fab―パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ」として再刊された。本書を監修したFabLab鎌倉の田中浩也氏にインタビュー。「3次元プリンタは電子レンジと似ている」ってどういうこと?
「Fab―パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ」(著:ニール・ガーシェンフェルド、訳:糸川洋、監修:田中浩也)は、今まさに盛り上がっているMakerムーブメントの精神的ルーツの1つとなった本である。
著者のガーシェンフェルド氏はMITで「(ほぼ)何でも作る方法」」(英語原題は「How to Make (Almost)Anything」)という講座を立ち上げた研究者。「パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ」という原書の副題は、Makerムーブメントを一言で表した言葉といえる。
印刷機がパーソナルコンピュータにつながったことで、個人がデザインをするデスクトップパブリッシングが生まれた。音響機器がパーソナルコンピュータにつながったことで、個人が全ての音を作る、いわゆる「デスクトップミュージック」が生まれた。
デジタルな世界では、形状もモーターも音も映像も、パーソナルコンピュータで扱える。「パーソナルファブリケーション」(Personal Fabrication:以下、「ファブ(Fab)」)とは、工作機械がパーソナルコンピュータとつながりつつあることで、個人があらゆるものを作ることができる状況を表した言葉である。
1996年、MIT Media Labのニコラス・ネグロポンテ氏は「多くの物質(アトム)が情報(ビット)の形で表されて、世界中を瞬時に駆け巡る未来が来る」と「デジタル時代」を宣言したが、今、コンピュータからモノが作れるようになったことで、今度は「ビットからアトムへの置き換え」が可能になり、さらには「アトムとビットが融合」しつつある。ファブは、ビットとアトムを一体化する取り組みである。
ガーシェンフェルドが開設した「(ほぼ)何でも作る方法」は、機械工作や電子工作、デザイン、木工、ネットワーク、プログラミングなど、さまざまな技術を、半年間で集中的に教える。かつ習得した技術を活用してその都度作品を製作し、ファブを可能にする技術のほぼ全てを習得させようという講座である。
ファブのためのさまざまな工作機械や、知識、コミュニケーションのハブとなるのがFabLabという場所であり、スキルを与える「(ほぼ)何でも作る方法」講座と、施設環境としてのFabLabは兄弟のような関係といえる。
書籍「Fab」には、実際にどういう技術が必要となるかという技術解説と、ファブの技術を身につけたことにより可能になったモノづくりのストーリーが両方含まれている。
今回は、「(ほぼ)何でも作る方法」講座を修了した初めての日本人であり、FabLab鎌倉(Kamakura)の設立者でもあり、そして「Fab」日本語再版の監修者である田中浩也准教授(慶應大学湘南藤沢キャンパス)にファブの魅力についてうかがった。
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⇒ | 田中浩也(Twitter) |
(以下、敬称略)
高須 再刊おめでとうございます。2005年に書かれた「Fab」が、今の時代に再刊された意義についてお聞かせください。
田中 友人の水野大二郎が「最初に思い描いた人のビジョンの大きさによって、その影響が及ぶ広さや射程が決まるんですよ」といっていました。「Fab」は実に射程の広い本だと思います。単に産業の話だけではなく、人間や社会や生活が根本的にどう変わるかといった視点が含まれています。
高須 内容的にも、見事にその後、「Fab」で予言されたような世界がやってきつつありますね。そして、さらに未来も予測されています。
田中 「Fab」の内容は、「計測技術」「通信」みたいに技術名が章タイトルになっているところは技術解説になっていて、「カルバグ」「アイリーン」みたいに人名が章タイトルになっているところは実際にファブを行った事例や「人」を語るエピソードで、それらが交互に出てきます。技術書なのか、ノンフィクション小説なのか分からないような……、それらがサンドイッチ状に組み合わされた不可思議な構成をしています。
田中 実例と技術解説を用いて、まるでSFのような未来、いや「SFのような現在」を示した本でもあります。SFを「実践する」本というか。例えば「アニル」の章では、インドの片田舎にファブの技術を導入することで、オートバイを改造してトラクターに仕立てたり、牛に発電機を回させる仕組みを作って電力を確保したりすることで、社会が変わっていく様子が描かれています。「アージャン」の章では、吹雪のヒマラヤで自分たちが開設したインターネットを通じてコミュニケーションする少女たちが出てくる。富野アニメみたいだ(笑)! 現実ですが。
高須 技術解説の部分でも、モノづくりの歴史、コンピュータの黎明期の話から始まり、全ての物質をコンピュータから操る未来に及ぶ。かつ、1つ1つの記述が、根本的なところから具体的に書かれている。それほど大著ではないし、各ページの記述は簡潔なんですが。
田中 それも「Fab」の魅力ですね。目の前の問題を解決することから、アトムとビットが融合した全体の世界像、宇宙像、それに至った歴史まで。深く考えた上で言葉を紡いでいるのが感じられます。例えばマイコンを使った電子工作について、マイコンそのものを自作するところから書かれている。ここはガーシェンフェルドが、ときに「ゼロから作る技術に固執し過ぎて、ついていけなくなる人が出る」と批判されるところでもあるけど、「デジタルの2進数は、(かける電圧が)0Vか5Vかによって作られている」ことを体感することで、アトムとビット、アナログとデジタルはもともとつながっているものなんだ、分け隔てられた世界ではないんだという、一番プリミティブな部分を体験してほしいというメッセージでもあるわけです。自分が部品を集めてはんだ付けした回路が、あるときから「コンピュータ」になる瞬間を感じる、ハッカーズマインドの伝授というか。
冒頭「モノづくりとは」にある、「宇宙は、文字通り、そして比喩的にも、コンピュータにほかならない。原子も、分子も、バクテリアも、ビリヤードの玉も、全て情報を保存し、変換することができる」という文章も、科学的に正しくて、かつSF的な壮大さがあります。もともと物理学者(量子コンピュータの研究をしていた時期もあった)なので、世界観・宇宙観を伝えることにもこだわっているのでしょう。Geek向けのジョークにあふれている側面もあって、そこは日本人が聴いてもピンとこないかもしれませんが(笑)。
高須 技術書としての「Fab」の魅力、「この本が何の役に立ちますか?」という形で紹介すると、どうでしょう。
田中 自分が「Fab」の本からよく引用するのは、「大昔、村の職人のモノづくりは、それ自体が教育であり、産業であり、芸術でもあった」という一節です。自己表現だったり、生産だったり、研究だったりと別々の名前に分化していったものが、いまファブとしてまた合流しつつあるわけです。例えば「シャープ」の章では、インドでケーブルテレビ網を自分たちの技術で引いている話が出てきます。彼はどこまでが何て言うジャンルの技術か、何が電子工作と呼ばれて何が機械設計かというくくりはなくて、学ばないと欲しいものが作れないし、生きていけないから学ぶ。サバイバルのために作るわけです。作り方も最初からは知っていなくてもいい。調べながら作ればいいと。
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