数少ない国産CAEツールの1つ「TSV-Pre、Post」の新版について、テクノスターの立石社長が説明した。同氏の米MSC社在籍当時の葛藤と、テクノスター設立の経緯についても明かした。
国産CAEソフトウェアベンダーのテクノスターが、2011年6月23日に発表したプリ/ポストツール「TSV-Pre、Post v5.0」。数少ない国産CAEツールの1つである同ソフトについて、代表取締役社長 立石勝氏が自ら語った。また、米国CAEベンダー MSC 副社長、日本エムエスシー(現在のエムエスシーソフトウェア) 社長と、外資企業の経営に携わった同氏が、どうして国産CAEベンダー テクノスターを設立したのか、その裏話も併せて伺った。
Pre v5.0では、1000万節点レベルのメッシュも数分で自動処理することが可能だという。メッシャーに並列計算機能も追加している。数百点の部品のアセンブリモデルにも数分でメッシュを掛けられ、荷重・拘束条件も容易に設定可能だ。
V5.0では、CADファイルのアセンブリツリー構造に対応し、全体モデル・サブアセンブリのみの表示・選択も可能とした。
メッシュが掛かったモデルに簡単にリブを作成できる機能(リブ作成機能・モーフィング機能)を追加。深さを入力することで、リブの高さも設定可能だ。リブ位置の上下移動や板厚変更可能なモーフィング機能も搭載している。従来はCADで形状修正しなければならなかった作業をプリ上で可能にした。このようなメッシュモデルに対する形状追加・修正する機能は、今後も増やしていくとのことだ。
「コンタクトテーブル機能」では、メッシュモデルのギャップ量に基づいて通常接触、結合接触を自動的に定義できる。複雑なアセンブリモデルの接触条件確認は、接触設定に関連したボディのみ表示する機能を搭載していることで容易に行えるとのこと。
新たに「き裂進展解析」の機能も追加。こちらは東京理科大学 岡田裕教授によるVCCMの基礎理論を利用した機能だ。従来、大規模なモデルに対し手作業のヘキサメッシュで対応するしかなかったき裂進展解析のメッシングで、テトラメッシュを適用できるようにしたことで、その作業の自動処理を実現。また「グローバル―ローカル機能」では、ユーザー任意のメッシュ粗さにコントロール可能だ。
さらに今回、ユニバーサル造船と共同開発した造船設計ツール「T-CAD」も汎用ツールとして加わった。造船業ではまだ主流である2次元製図をする感覚で、3次元のFEMモデルの作成が可能だ。この機能を用いることにより、数多くの構造のバリエーションに対応した解析モデルが高速に作成し、これらをバッチにより一気に解析することが可能だ。従来では1モデルの作成に、何十時間もかかっていたプリの作業(その時間内が、ほぼ手作業のオペレーション)をわずか数分で可能にする。なお、ユニバーサル造船での本格的な採用はこれからだという。
次期バージョン「TSV-Pre、Post v6.0」は、2011年度中にリリース予定とのことだ。また開発中の次世代プリ/ポストツールであるコードネーム「Jupiter(ジュピター)」(製品名は未確定)については、同社の設立10周年に当たる2012年中旬リリースを予定しているという。その後は、1〜2年でユーザーに使ってもらいながら改善し、少しずつ移行してもらうことを考えているとのことだ。
ほかに次世代ツールとして、最新のアーキテクチャを採用しつつ以下の要件を盛りこむ予定だ。
なお、Jupiterでは、1億節点レベルでも負荷なく操作でき、さらには数億節点でも現実のモデルとして扱えるように設計するという。
「私の学生時代は、FEMで扱えるのは50節点程度でした。1980年代半ばにMSCに入った頃でも、たかだか何万節点の時代でした。1990年代に入って、大手自動車メーカーから『10万節点をスムーズに扱いたい』と相談されたのを覚えています。その後、コンピュータのハードウェア環境の急速な進化により、節点数は急激に増えていきました。MSCを辞める頃には、100万節点が普通に扱える時代になっていました。私が2002年にテクノスターを起こしたときは、500万〜1000万節点を扱えることを目指していました。会社設立後、あるアーキテクチャーにたどりつき、某自動車会社にパイロット版で300万節点を扱えることを紹介したところ、即採用となり、ベンチャーキャピタルから出資してもらえることになったのが、テクノスターの実質的なスタートでした」(立石氏)。その後、同社のツールは、大手自動車メーカー、家電メーカー、産業機器メーカーなどに広まっていった。
「CAEは、本来プロフェッショナルな技術者の道具です。しかし実際のエンジニアは、本来のプロフェッショナルな仕事よりも、『メッシュを切る/解析結果のグラフをまとめる』といったオペレーション作業に時間の大半を費やしているのが現実です。エンジニアをそういった単純作業から少しでも開放し、本来のプロフェッショナルな仕事をしてもらうため、プリ/ポストツールの充実・簡略化が重要であると考えました」(立石氏)。
立石氏の幼い頃からの負けず嫌いな性分と好奇心、造船エンジニア時代の経験、外資CAEベンダーでのビジネス経験、それらが絡み合って、同社が誕生する。――
――「造船業の技術拠点はやがて、日本から韓国、そして中国へと移っていくだろう」。かつて日立造船にエンジニアとして在籍していた立石氏はそう考えていた。
同氏は、造船業の不況下で、日立造船を辞職、その後、米MSCから声を掛けられ、1986年にMSCのアジア拠点である日本エムエスシーに入社を決めた。当時、MSCが扱うNastranは、CAEのリーダー的な存在であり、これを普及することが技術進展の貢献になるのではないかと考えたからだった。
まずは、アジア圏のビジネス全般を任され、中国語も全くできない状態で中国本土でのビジネスを開始。だが、その後天安門事件がぼっ発し、立石氏がターゲットにしていた中国のビジネスから撤退せざるを得ない状況となった。
そのとき立石氏はMSCを退職することも考えたという。米国本社からは、日本に帰ってこいという強い要請があったが、それをよしとせず、韓国・台湾・シンガポールなどにビジネスを拡大。その後中国もしかるべき成果が出たので、MSC本社の意向を受けて日本に帰国。1992年にはMSCのアジアパシフィック全体を任されることになり、1993年に日本エムエスシーの社長、翌年1994年には米MSCの副社長と、外資企業MSCの重要ポストに就任した。
ただ、そのような華々しい経歴の裏には、葛藤があった。
「当時は、外資におけるアジアの人間の主張を正しく通したいと考えていました。しかし当時の外資企業では、それが非常に難しかったのに加え、文化と言語の壁は非常に高く、少なくとも、普通の日本人が、普通に頑張っても、到底乗り越えられるものではありませんでした。アジア人が数人束になって掛かって、欧米人たった1人にやっと勝負が挑める感じなのです。結局、自分の主張を押し通そうとして、本社と軋轢(あつれき)を起こし、それがMSCを退職する直接的な理由になってしまいました。外資のトップを一度務めると、ほとんどの場合、次も外資に行くのが常ですが、私はそういう気は全くなかったのです。もう十分だと思いました。それにやはり、“自分の夢を実現したい”。だから会社を作るしかないと考えました」(立石氏)。
テクノスター設立当初は、なんとCAEではなく、健康食品(塩)を売ろうとしたそうだ。しかし、その後の調査で、扱おうとしていた塩が世界一の塩ではなかったこともあり、塩は早々に断念。世界に誇れるものを達成するためには、立石氏が長年慣れ親しんできたCAEに専念することしかないと心に決めたという。その後、アジアの叡智(えいち)を集めるべく、ソフトウェア開発を開始した。「とにかく動き出すこと」が肝心であるという立石氏の思いがあった。
塩にしても、CAEにしても、軸はぶれていないと立石氏は言う。その軸とは、「社会に貢献すること」だった。立石氏は日立造船を退職するとき、その条件として、先輩から「お前はどこへ行っても通用するだろう。しかし1つだけ約束をしなさい。常に人類の福祉(社会)に貢献することを考えて行動しろ」という叱咤激励の言葉を受けた。この言葉は、いまもなお、立石氏のビジネスにおける行動規範になっているという。
プリ/ポストツールを極める道を選んだことも、エンジニアが本来のプロフェッショナルな仕事に時間を費やすことができ、さらにそれが、より良い製品を世の中に生み出すことへつながっていく意味では、立石氏の先輩が言った、社会への貢献につながるわけだ。
アジアの主張、意地を欧米のCAE業界に伝えるという思いも、実現しつつあるという。「当社のツールは、既に欧米のベンダーのツールに負けない自信があります。そのことが、他社ベンダーを刺激し、ひいては業界の技術向上に貢献していると思っています」(立石氏)。
1つの軸をぶらさずにきたことで、世の中に埋もれていた優秀な人材も発掘でき、それが高性能な製品開発へ結び付いていると言う。
「4歳の頃、星が家よりも大きいことをおふくろに教えてもらい、本当にびっくりしました。小学生のとき、チョコレートを初めて食べて、その美味しさに感動しました。壱岐の島の中学校で(成績が)1番だったにもかかわらず、灘高の試験を見たときは、その難しさに本当にびっくりしました。常に驚きと感動が私を前へ進ませました。先日も、なでしこジャパンの勝利には大変感動しました。あの集中力とその裏にある才能と努力は、いったいどれほどだろうかと。テクノスターを起こし、思いがけず多くの優秀な仲間に出会いました。彼らと一緒に製品を作っていることは、大きな喜びと感動です。ビジネス上で感動を得ることは、いまのテクノスターが一番多く、それが私たちの原動力でもあります」(立石氏)。
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