取りあえずは、作業予定表の配布も終わったことだし、自分の机に戻って昨日朝書きかけだった、新人教育用の作業要領書を書き始めよう。眠いけど、今日はもうこのまま突き進むしかない。そう思って、さっき買った甘ったるい缶コーヒーを一気に飲み干して席に戻りました。作業を始めるか、とパソコンを開こうとしたそのとき、「おい!」試験課の課長が席を立ってこっちにやって来ました。先ほどの機嫌のよい表情はどこかに消え、みけんにしわを寄せたけげんな顔です。
課長と目が合った瞬間、胃袋がキュキュとノドのあたりまで持ち上がりそうになりました。課長の手にはボクの作成した作業予定表が握り締められています。ああ、また怒られる、と思いながらも返事すらできずにいると、ボクの席を通り過ぎて、ボクの上司のところに向かいます。ボクの胃袋はますます縮み上がります。
課長よぉ。このイトウ君が作った予定だけどサ、納期ぎりぎりのがあるし、すぐに仕掛からなくてもよさそうな納期のもんを先に作ることになるけど、いいのかね、これ。
いらだった声で予定表の紙をトントンとたたきます。
俺だったら、こっちを先にやるけどな。なんせ工期が長いんだから余裕を持って作業したいし、こっちの小さいのはぎりぎりに作っても間に合うだろ? どうする?
試験課の課長さんはボクの上司の顔をぐぅっとのぞき込みます。ウチの課長は、その顔の圧力に少しのけぞり気味の体勢に追い込まれています。「よぉ?」試験課課長がもうひと押ししたとき、ボクの上司の表情が一変しました。困惑の気配は消え、ふわっとにこやかな笑顔です。
そうかー、わっかりました。すーぐ作り直しますよ。
試験課の課長は、ボクの方を見ずに話を進めます。いままでそんなこと教えてくれなかったのに。
一通りの話が終わると課長は予定表を手に取り、ボクの方にそれを差し向けて「イトウ君、やってくれ」と丸投げのご様子。
ハイッ! すぐに直しますので、その間の作業はお任せしていいですかっ。
おぅ。分かった。頼むよ。
またも気を付け体勢で反射的に快諾してしまいました。課長はめがねを掛け直して別の書類に目を通しています。
試験課の課長はチラとボクの顔を見ただけで、事務所を出て行きました。まだまだボクは認められてないってことなんですね。
しまった! もしかして、今日も残業か!?
自分で調子のいいこといっておきながら、ちょっと後悔しました。戻りかけた胃袋もまたキュッとします。
昨日、散々やったので、まだ頭の中に昨日日程調整した各オーダーの工期やリードタイムが記憶にあります。いまいわれたことは、何となく頭の中では整理できるのですが、これを表計算ソフトにバーチャートで記載していくのに時間がかかります。
最初に、ボトルネックになる大型機械加工の職場の日程を引き、そこからオーダーごとの日程も交互に修正していきます。
あぁ、ボクが変更点を口頭で説明したら自動的に日程表ができればいいのに、などとむちゃな空想をしつつ、オーダーごと、作業ごとに、作業の前後関係と納期や設備の重複がないか確認して日程表を仕上げていきます。
さすがに昨日やったので、今日は調子がいいようです。このペースなら、昼過ぎには終わりそうです。
「課長! 昼過ぎには終わりそうですよ。昨日やったものの修正なので、意外と早くできそうです!!」
そうかー、任せたよ。俺の時代は手書きだったからもっと時間がかかったもンだよ。こんな変更があったら、もうそりゃ毎日徹夜続きでさ……。
急に遠い目をしだします。連日の変更で心がぐにゃぐにゃにしおれつつあるボクの気持ちを知ってか、今日はなんだか優しくしてくれているようで、いろいろと話し掛けてくれます。
それがこんなにすぐ終わるようになるとはなぁ。イトウ君が表計算ソフトで作るようになってから現場の受けもまずまずだろ? ん? 今日は、定時に帰って、夕飯ごちそうするか。イトウ君、今晩の予定は?
課長はボクの両肩を揺すります。「予定はないですっ。ごちそうになります!!」と反射的に返答が口をついて出た後で、ふと彼女との気まずいやりとりを思い出し、しまった!! 今日は、彼女に昨日のフォローでもしておくべきだったかな、と思ったものの、見事に後の祭り。どちらにしろ夕方電話しなくては。時計を見ると、あとちょっとで昼休みだ。
予定表の作り直しは順調にいけば昼前には終わりそうだ。
完成目前まで作業が進んだため、缶コーヒーでも飲んで一息つこうと席を立った瞬間、また電話が鳴っています……。
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