製造業にデータ駆動型経営がより一層求められる中、DcX(データセントリックトランスフォーメーション)というコンセプトが注目されつつある。そんな中、DcXにいち早く取り組み、成果を出しているのがセイコーエプソンだ。ビジネスエンジニアリング主催イベント「BE:YOND 2023」における、同社の取り組みを掘り下げた対談セッションの内容をお伝えする。
ビジネスエンジニアリング主催のイベント「BE:YOND 2023」が2023年2月16日に開催された。その中で「データ駆動型経営のために必要なもの〜先進企業が取り組むDcXの真価〜」をテーマに対談セッションを実施。セイコーエプソン IT企画設計部 専任部長(登壇時)の田中秀樹氏、ビジネスエンジニアリング ソリューション事業本部 デジタルビジネス本部 DcXビジネス推進部 部長の浅井守氏が登壇し、セイコーエプソンの取り組みを中心にDcXの価値や進め方などを紹介した。本稿ではこの対談セッションの内容をお伝えする。モデレーターはMONOist編集長の三島一孝が務めた。
対談セッションのメインテーマであるDcXは「データセントリックトランスフォーメーション」の略で、データを中心とした変革を示す。「デジタル」と幅広い技術との関わりを示すDXから対象を絞り込み、データのやりとりや分析、利活用を核としたビジネスを構築することを明確化していることが特徴だ。ビジネスエンジニアリングの浅井氏は「個々の設備のログやMES(Manufacturing Execution System)、ERP(Enterprise Resource Planning)システムなどの活用で多くの企業がデータを蓄積する仕組みは整えているものの、そのデータをしっかりと生かせているとは言えません」と製造業におけるデータ活用の現状について指摘する。
対談セッションでは、このDcXをうまく推進して成果を生み出した企業としてセイコーエプソンを紹介。セイコーエプソンで全社の一元的なデータ基盤構築プロジェクトを主導した田中氏がその取り組みを説明した。
浅井氏の指摘のように、もともとセイコーエプソンも事業ごとやエリアごとで個別最適の業務システムが分断されていた。そのため「事業横断での採算分析や適性判断ができない」「新規事業や商品への対応に時間がかかる」「非効率な作業やリソース配置によるITコスト増大」などの問題があった。そこでIT部門主導で社内システムのグローバル最適化活動「Eutopiaプロジェクト」を2015年に立ち上げた。同プロジェクトは2019年に関係会社や業務部門も加えた全社プロジェクトに発展した。
一連のプロジェクトで「統合マスタ」「データ統合基盤(DIP)」「データ分析基盤」の3つの基盤を整備し、それぞれが有機的に結合する仕組みを構築した。統合マスタは、グローバルで統一したマスタレコードを管理し、その情報を各システムへリアルタイムに配信する。そのマスタを使用した業務システムのデータや、生産設備の機器データ、製品から発生するログデータ、他にも顧客の声といったデータをデータ統合基盤で収集/管理し、そして、この基盤にあるデータをカタログ化して公開する。こうしたデータを分析基盤にて可視化、分析、予測をしていくことで、顧客価値創造や、ビジネス成果の獲得につなげていくという仕組みだ。
ここからは、セイコーエプソンの取り組みをさらに掘り下げて、主に「データを結ぶ基盤構築」と「データから価値を生み出すポイント」の2つに絞って紹介する。
三島 DcXを進める上で、まず部門やシステムの壁を越えて散在するデータを使えるようにする基盤作りで悩まれている企業が多くあります。セイコーエプソンさんはどのように乗り越えられたのでしょうか。
田中氏 われわれも多くの企業と同じく、統合マスタとデータ統合基盤を構築するまでにはさまざまな苦労がありました。統合マスタについては、取り組みを始めた2015年には「なぜマスタの統合が必要なのか」という声が経営トップや業務部門、海外のIT部隊からもありました。そこで、全社で統一するマスタを決め、それを統合管理していくことのメリットを、業務品質の向上、サービス品質の向上、意思決定の迅速化の3つの切り口でまとめ、説得に当たりました。業務部門が主導すると部門間の力関係なども関わってしまってまとまらないので、マスタの統合を推進するためにはIT部門側が統制力を持って運営していく必要があります。そこでマスタ統合チームを作り、そのチーム主導で業務部門と一緒に「マスタ統合方針書」を作成しました。
マスタを管理する仕組みとしては、MDM(マスタデータ管理)製品を採用し、将来的に拡張性のある形にしています。ここは、ビジネスエンジニアリングさんにも協力いただき、製品標準機能の上に弊社独自の共通機能を搭載し、その上で個々のマスタ機能を構築する構成とすることで、追加開発のコストを最小限にすることを可能にしています。
データ統合基盤については、データマネジメント基盤の中核となるために収集したデータをどのように保管管理するかが非常に大きな課題になりました。全社のデータを統合し、さまざまな用途で活用できるようにするために、データ統合基盤の内部を「データレイク」「データウェアハウス」「データマート」の3階層にしてデータを管理する方法を採用しています。
三島 浅井さんはこのような取り組みを進める立場だと思いますが、どの点がポイントだと考えますか。
浅井氏 セイコーエプソンさんの取り組みで一番のポイントとなるのが、統合マスタを中心に据えて強制力を持って推進された点だと考えます。セイコーエプソンさんが早いタイミングでマスタ統合の重要性に気付かれた背景や、ブレずにプロジェクトを進められた原動力は何だったのでしょうか。
田中氏 統合前の業務を調査した結果、データ加工や名寄せが各所で非常に多く行われていて、各種レポートを出すまでのリードタイムが非常に長かったことに気付きました。その現象を見かねて調べたところ、そもそもの起点となるマスタが整理されていないことが原因だと分かったのです。そのため、マスタを整備して収集するデータの粒度などの定義を明確化することが、使えるデータ基盤を作る早道だと結論付けました。
ただ、マスタ統合は大変で、どの部門もできればやりたくないものだと思います。その中でわれわれが活動を進められた原動力としては、Eutopiaプロジェクトの活動ロゴにもあるように、マスタを中心に据えて「ここが1丁目1番地だ」とプロジェクトの根幹であることを内外に示せたことだと考えています。これを、経営トップや海外の各種部門にも繰り返し説明し、それが徐々に浸透していったことが大きいですね。こうしたビジョンを示しつつ、マスタ統合チームを作り、具体的な方策などを進めていきました。
三島 データを活用できる形で収集して管理できたとしても、データをどうビジネス価値に結び付けるかという点で苦しむ製造業も多くあります。この「データから価値を生み出す」という点で、セイコーエプソンさんはどのような工夫をされたのでしょうか。
田中氏 データを価値につなげるためには、現場の「データ」をいかに整備して活用可能な「情報」にし、それを経営判断のための「知識やノウハウ」につなげられるかという考え方が重要です。生のデータを他でも生かせる情報にし、それを知識に変えていくという流れです。われわれのシステム構成はその流れを体現したものになっています。これが、統合マスタでの「データ」と、あらゆる業務データを「情報」として使える形に変換するデータ統合基盤、このデータを活用して「知識やノウハウ」に転換して価値を生み出すデータ分析基盤の3つです。前提としてこの3つのフェーズが整理できていることから、それぞれの基盤でやるべきことが明確になったということがポイントです。
データ活用は「データ分析基盤」が大きな役割を担いますが、具体的には「データ分析サービス」と「経営ダッシュボード」という2つの取り組みを進めています。データ分析サービスは業務課題に対応するサービスメニューを用意して分析します。経営ダッシュボード作りは経営層を巻き込んでKPIの可視化を行います。
データから価値につなげるための運用体制として、まずはデータを管理する領域を9つに分け、それぞれに役員クラスのデータオーナーを立てました。そして、各領域に必要な役割として、アクセス権などの管理責任を持つ「データ管理責任者」、活用に向けて必要なデータを決めていく「データ整備担当者」、データモデルの構築をしていく「データアーキテクト」などを定義しました。こうした役割を決めて推進する仕組みをしっかり構築することで自然に取り組みが広がってきます。
さらに重要なことは、リテラシーを向上させるための教育や前提知識の浸透をしっかり行うことです。われわれは従業員のデータ活用リテラシーや分析スキル向上のため、役割に応じたデータ活用教育を実施しています。データリテラシーの高低による違いはこのような基盤があると顕著に出てしまいます。そこで半年に1回、データ活用に関する成功事例などを共有する「データ活用共有会」を開催しています。現在は参加者も増加しており、良いサイクルが回り出していると感じます
三島 浅井さんはこれらの取り組みの中でのポイントについてどう考えますか。
浅井氏 データを組織のノウハウや知識に昇華させる話がありましたが、ここがすごく大きなポイントだと思います。マネジメントサイクルのPDS(Plan-Do-See)で考えた場合に、データは現場の実態や実績というファクトそのものであり“Do”ですね。それを可視化する“See”の部分までは多くの企業が進めていますが、組織として意思決定をしていく“P”になかなか結び付けられていない。データ活用というのは見える化でとどまるものではなく、プランニングや意思決定に生かしていくところが重要である点を象徴していると感じました。
対談セッションの最後に田中氏は製造業のデータ活用の将来像について以下のように語った。
「製造業にはエンジニアリングチェーンやサプライチェーンがありますが、私はそれに加えて今後は『データのバリューチェーン』が重要なポイントになると考えています。現場データを知識やノウハウにする流れを作り、データ統合基盤に情報を蓄積していく。この仕組みをつくることで、自社内での活用に加えて将来的には他社とのコラボレーションもシステム面で円滑に連携できるようになります。新たなビジネスにも俊敏に対応できます」(田中氏)
データを中心とした業務変革はあらゆる製造業にとって避けられないものだ。今回の対談セッションで語られた、セイコーエプソンが進めた3つの基盤によるデータ運用環境の構築とマスタ統合の工夫、データを業務価値につなげるためのサービスと教育への取り組みなどは、DcXを推進する多くの製造業にとって参考になるだろう。
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提供:ビジネスエンジニアリング株式会社
アイティメディア営業企画/制作:MONOist 編集部/掲載内容有効期限:2023年3月30日