医薬品事業に進出して30年以上が経過した日本たばこ産業(JT)。オリジナルの抗HIV薬などの開発で世界的にも高い医薬品開発力を示した同社だが、そうした“創薬力”を担うのが同社の医薬総合研究所である。中でも薬物動態研究所では、より効率的で低コストな医薬品開発を実現すべく、膨大な実験データの活用を促進するシステムを構築している。
たばこや加工食品などで知られる日本たばこ産業(JT)が医薬事業に参入したのは1987年。次年度の1988年に医薬事業部を発足し、1993年には大阪府高槻市に医薬総合研究所が開所したことで、世界を相手に創薬に取り組む体制を整えた。その後1999年には鳥居薬品をグループ会社に迎えて協業体制を確立し、研究開発機能についてはJTへ集中。これまで、抗HIV薬「スタリビルド配合錠」やその後継品である「ゲンボイヤ配合錠」、世界初のMEK阻害薬であるメラノーマ治療薬「メキニスト」、最近ではJAK阻害薬であるアトピー性皮膚炎治療薬「コレクチム(R)軟膏」といったオリジナル新薬を開発し世界に展開するなど、“より患者様のためになる薬を世の中に送り出す”ことをモットーにした、創薬のプロフェッショナル集団へと進化している。
このJTの医薬総合研究所の組織内で、ITの活用による医薬品開発のプロセス革新に積極的に取り組んでいるのが薬物動態研究所だ。データ管理の側面から新たなアプローチを取り入れることで効率的な新薬開発につなげている。ここからは、その取り組みを見て行こう。
10年以上の月日が必要とされる医薬品の研究開発だが、その研究プロセス全体は大きく2つに分けることができる。1つは、多ければ1万種類にも達するという有機化合物などの合成とともに、それらを網羅的に評価して絞り込んでいく段階となる前半の「創薬研究」。もう1つは、創薬研究の中から1つに絞り込んだ医薬品成分となる化合物の効能などについて科学的な評価を行う後半の「開発研究」である。
さらに、創薬研究と開発研究のいずれも3つのプロセスから成っており、全体では6つのプロセスで構成されている。創薬研究では、生体試料中の薬物濃度測定、培養細胞やヒト由来組織を使った試験管レベル(in vitro)での試験などを行い、薬物の吸収、分布、代謝、排せつ過程(体内動態)の面から新薬候補化合物の選択・最適化を実施する。その後の開発研究では、新薬候補化合物の有効性/安全性を体内動態面から解明し、ヒトの体内動態や薬物間相互作用の可能性を予測する。また、体内動態に影響を及ぼす変動要因や薬効の強度と薬物濃度との関連性の解析も行う。そして、先述したように、1つの医薬品の研究開発の中で合成される化合物は1万種類にも及ぶ。
JTの医薬総合研究所において薬物動態研究所が担ってきたのは、後半の開発研究の領域である。しかし、創薬開発で合成する化合物は、かつての数千種類から今や1万種類に達するなど規模が拡大し続けている。その中から、より確実に効能を発揮できる化合物の絞り込みを行えるように創薬開発のプロセスにも関わるようになってきているのだ。
JT 医薬総合研究所 薬物動態研究所 主幹研究員の篠田清孝氏は「薬物が効率的に吸収されるのか、ターゲットの臓器に薬効を示すのに十分な濃度で輸送されるのか、といった医薬品としての適性を実験動物への経口投与などで分析検証した後に、実際に患者様やボランティアの方への投与による臨床試験で最終的な有効性や安全性などを検証するのが薬物動態研究所の基本的な役割です。それが世界的な流れとして、臨床試験の段階で患者様に投与しても薬物が思ったように吸収されないなどの問題が顕在化するようになってきました。そこでより早い段階、つまり創薬研究でも薬物動態研究の試験を取り入れて候補化合物の吸収性を確認するなどのスクリーニングを行うようになってきているのです。それは当社においても例外ではなく、現在では創薬の研究者が開発研究に関わったり、その逆もしかりといったように、組織もほぼ一体となっており、最初から開発研究も志向して創薬研究を行うようになっています」と説明する。
医薬品の開発では、創薬研究であれ開発研究であれ、化合物の合成やその評価試験を行った際に収集した実験データが重要なことは言うまでもない。これらの実験データは、かつては実験ノートや論文など紙ベースの資料として保存されていたが、コンピュータの登場に合わせて電子データとして記録されるようになっている。
ただし、これら実験データの取り扱いに関する最優先事項はデータの保全にあることが多い。「薬物動態研究所でも、当初は全てのデータが確実に保全されていることを重視していました。保全の方法に関してはかつての紙ベースからExcelベース主体に変化しましたが、その一方でデータの活用に関してはプロジェクトの中で共有されていればよいという認識で、Oracleのように高度なデータベースシステムを利用してプロジェクトをまたいで幅広くデータを活用することはそれほど重要視されてきませんでした」(篠田氏)。
例えば、薬物動態研究所が扱う実験データの中でも重要なものとしてADMEの試験データがある。ADMEとは、生体に投与された薬物が、生体内に「吸収(Absorption)」されて、生体内に「分布(Distribution)」し、肝臓などで「代謝(Metabolism」され、尿中などに「排せつ(Excretion)」されて生体内から消失する過程を指す、それぞれの過程の頭文字から取った用語になる。
篠田氏は「昨今では多くの化合物についてさまざまなADME評価を一気に実施するようになっています。その化合物は適切に吸収されるのか、体内で薬効を示す濃度を維持するかどうか、その後、体内に蓄積せずきちんと排せつされるかどうか、などの指標となる評価です。また、ADMEの個々の過程だけでなく全体を見ないと分からないときには、実験動物を使って血中濃度を測るなどして実際の確認をしたりもします。そうなってくるとデータの種類は膨大になってくるため、データの保全だけではなく、研究者が必要な時に必要なデータをすぐに活用できるようにすることが求められるようになりました」と語る。
そこで薬物動態研究所は、データ活用に向けて、ADMEに関する値と、それを軸にした実験データが登録されたOracleのデータベース(DB)システムを構築したのだった。このシステムでは、溶解度であれば溶解度用など、1つの評価軸ごとにデータを継続的に入れる仕組み=DBシステムを構築することになるが、そのシステム構築は外部の業者に委託していた。
以前は数えるほどのDBシステムで間に合っていたが、それが今では数十にまで増えている。しかし、研究者が知りたい値について新たなDBシステムを構築する際には、外注業者に依頼する度に「それなりの」コストがかかるだけでなく、1年以上の時間を要してしまう。難易度が高まる新薬開発にとって迅速なデータ活用は必要不可欠であり、そのためのDBシステムの構築が課題として深刻になっていったのである。
その解決策として篠田氏らが目をつけたのが、インフォコムが国内提供しているデータ分析プラットフォーム「KNIME Analytics Platform(KNIME、ナイム)」だった。KNIMEは、あらゆるデータの連携・統合・分析を自動化する高度な機能を備える一方で、無償のオープンソースソフトウェアであるため、ライセンスやコストを気にせずに気軽にデータ分析を試せることが特徴だ。「KNIME HUB」と名付けられたユーザーコミュニティーの活動も活発であり、そこで開発された2000を超える分析ノードやサンプルワークフローを用いれば、データサイエンス関連の専門的な知識がなくても、自身の用途に合わせたデータ分析が行えるのだ。
篠田氏は、これまで外注業者に構築を依頼していた、文章や数値などが混在するExcelのデータからデータの仕分けを行い、付加情報を付けて整理し、OracleのDBに登録するというシステムを、KNIMEの活用を企業内でより効率良く展開できるエンタープライズ版の「KNIME Server」を用いることで、研究者自身による仕分けの設定や、夜間の自動でのデータ仕分けを行えるような自由度の高い仕様に変更したのである。「Excelファイルに集約された評価データを、KNIME Server側で10ステップの手順で情報の切り分けを行います。実験担当者それぞれのニーズに合わせて、Web GUIから手動での登録でも、夜間の自動登録でも行えるようになっています。業者に委託していたころは、そんな気軽にできるようなものではありませんでした。また、KNIMEの良いところとして、一度仕組み(テンプレート)をつくってしまえば、種類の異なる評価であってもプロセスを少し変更するだけで再利用できるところですね。以前は外部業者に全てスクラッチで作ってもらっており、時間とコストもかかっていましたが、これをわれわれの必要に合わせて自身の手で作れるようになりました」(篠田氏)。
もともと薬物動態研究所では、ADMEの物性の1つである分配係数のLogDを導出するツール「Pallas」をより多くの社内ユーザーにつかってもらえるようにするため、インフォコムから紹介を受けて2013年2月にKNIME Serverをベースとした、Web上でPallasを利用できるシステムを構築し、運用していた。またこれと合わせて、篠田氏自身も無償のデスクトップ版のKNIMEを試用していたが、その中で着目したのが既に用意されていた2000を超える分析ノードやサンプルワークフローだった。篠田氏は「いろいろと試したところ、KNIMEはデータ管理に最適なことが分かりました。そこでインフォコムに相談したのがきっかけになります」と振り返る。
まずは2014年に液体クロマトグラフィー(LC/MS)のデータ管理にKNIMEを適用。その後、部門で利用する化合物の保管場所データの登録や検索にも使えるのでは考え、インフォコムに簡単なモデルの構築を依頼した。同社 ヘルスケア事業本部 ヘルスケアサービス部 ライフサイエンスグループの高橋敦郎氏は「このモデルをベースにして、薬物動態研究所様側が主体となって他モデルへの転用を進めていただきました。もちろん、必要に応じて当社もサポートを行っています」と述べる。そして2018年からは、Excelベースの実験データについて、KNIME Serverを使ってOracleのDBへの入力や新規のDB構築を自社で行える仕組みを本格運用するようになった。
篠田氏らは、競合製品との比較検討も行ったが、最終的にKNIMEを採用した理由について次のように語る。「競合製品は、基本的に専任者を置いて扱うことが基本になっているツールでした。対してKNIMEは、デスクトップ版であれば全ての機能が無償で使え、各自が自由にカスタマイズできるし、それを望まない人もKNIME Serverで生成したWebアプリケーションを介して簡単に利用できます。KNIMEの方が圧倒的にコストパフォーマンスが良い上に、ユーザーの知見をシェアでき、柔軟性も高く、まさに全員で使いながらお互いに高め合えるツールだといえるでしょう」(同氏)。
もともとライフサイエンス系の研究開発向けのツールとして開発されたKNIMEだが、インフォコムによると最近では製造業やマーケティング分野でのデータ管理、データ分析などの用途でも引き合いが強くなっているという。
高橋氏は「最近、製造業のお客さまから、工場の機器から送られるセンサーデータを分析して、例えばQCの予測モデルをKNIMEの機械学習機能などを使って作りたいなどの相談が増えています。データは取っているものの、その活用に悩んでいる企業が多いのですが、KNIMEであれば読み込むデータのハンドリングから読み込んだデータの分析、分析した結果の可視化といった一通りの機能が備わっているので、ニーズに合わせて柔軟に使ってもらいやすいと自負しています」と強調する。
同社 ヘルスケア事業本部 ヘルスケアサービス部 ライフサイエンスグループ 主任の大場祐介氏も「ある意味“データのあるところで何でも使える”のがKNIMEの特徴といえるでしょう。数値、文字、画像などのデータを読み込んでハンドリングや分析ができるので、今やさまざまな用途で活用できる汎用的なツールになっています」と声をそろえる。
現在、JTの医薬総合研究所におけるKNIMEの活用は、薬物動態研究所のみならず、化学研究所や安全性研究所といった他の研究組織にも広がっている。さらに、欧州を拠点にたばこ製品の拡販をグローバルに展開するJTインターナショナルもKNIMEを導入しており、医薬事業の枠を飛び越えてJTの全社から注目される存在となっているのである。
今後、篠田氏はJTの研究組織でのKNIMEの活用領域を、DB連携、機械学習、業務改善へと広げていく構想を描いている。
「DB連携では、自社のデータと社外のデータをうまくリンクさせてデータを取得できる仕組みをつくってさまざまな医薬品開発の促進に貢献していきたいと考えています。また、DBに集約されたデータを利用して、より期待値の高い化合物を一日でも早く見いだすことができるよう、機械学習による優先度付けなどもやっていきたいですね。それとともに、時短は研究所でも課題ですので、コピペなどの単純な作業を減らしてより創造的な仕事に各研究者が注力できるような環境づくりのための業務改善も必要でしょう。いずれにもKNIMEの活用が有効だと期待しています」と篠田氏は笑顔で語った。
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提供:インフォコム株式会社
アイティメディア営業企画/制作:MONOist 編集部/掲載内容有効期限:2020年6月10日