製造業の今までの10年、これからの10年(前編):MONOist編集部が語る10年(1/2 ページ)
2017年8月1日に10周年を迎えたMONOist。それを記念して編集部員が製造業のこの10年と将来について語った。笑いあり、涙ありの熱いトークバトルをお伝えする。
2007年8月1日に誕生したMONOistは10周年を迎えました。10周年を記念して現在MONOistを担当する編集部員4人が、製造業とMONOist編集部のこの10年の振り返るとともに、製造業の課題や将来像を探ります。笑いあり、涙あり、乱闘ありの熱いトークバトルの模様をお伝えします。前編では、過去の10年の製造業とMONOistについて、後編では現在の課題と今後の製造業の進む道について語ります。それでは始まり始まり。
全会一致で決まった「MONOist」の名前
ミシマ さて、MONOistは2017年8月1日に10周年を迎えました。コバユミさんは編集部員で唯一、MONOist発足時から所属していますよね。MONOistのスタート時はどんな感じだったんですか?
コバユミ 当時私はIT技術者向けメディアの「@IT」の編集者だったんですが、ちょうど@ITの派生メディアとして「製造業向けに特化したメディアが作れないか」という話の流れが出て、MONOistが生まれることになったんです。
@ITは専門の技術者に向けて特化した情報発信をする「フォーラム」を作って成長してきましたが、MONOistでも専門の技術者に特化したフォーラム制を踏襲することにしました。それまで@IT内でフォーラムとして製造業向けで存在していたのは「組み込み開発」だけでしたが、製造業の部署や工程などを見据えて、いろいろ話し合った結果、「組み込み開発」「メカ設計」「生産管理(現在の製造マネジメント)」の3つのフォーラムでスタートを切ることになったんです。
私自身は、もともとCAD設計者だったこともあって、MONOistでも「メカ設計」を中心にほとんどのキャリアを過ごしてきました。今は「メカ設計」に加えて、その他の領域にも取り組み分野を拡大しているところですね。
ミシマ そもそも「MONOist」っていう名前はどんな感じで決まったんですか?
コバユミ 「モノづくり」なので「MONO」は入れようということはすぐに決まってましたね。その上でいろいろ案を出したんですけど、出た案の中では「MONOist」という名前は全会一致で決まりました。読み方を「モノイスト」にするか「モノリスト」にするかは少しもめましたけど、素直にいこうということで「モノイスト」ということになりました。名前はあまり苦労しなかった印象です。ちょうど地名(千葉県四街道市の物井など)くらいしかぶつかる名前もなく、シンプルさがメンバーには受けたような気がします。
メディアとしての位置付けで考えても、当時は組み込みLinuxやWindows Embedded、CADなどが中心の話題として取り上げていたかな。製造業向けというと堅い業界誌しかない状況だったので、新たなメディアとして歓迎してもらった記憶があります。
MONOist編集部員の10年前
ミシマ そもそも10年前はみんなは何してたの?
サンスー 私はMONOistの競合になる業界誌の編集者でしたね。MONOistができた時期は、自動車技術を扱う新しい雑誌が立ち上がるところで、その取材を始めていたところだったかなあ。
その頃は全く自動車に縁がない状況で、おまけにペーパードライバーだったから右も左も分からない中で、主にカーエレクトロニクスの取材をすることになって、本当に大変でした。2008年のデトロイトモーターショーに初めて出張することになって「なんて派手な業界なんだ!」とものすごく驚いた思い出があります。
でも、そこからずっと自動車関連の担当が続いて、MONOistでも2016年までオートモーティブフォーラムの担当をやることになったのは、本当に不思議な縁だなと思います。今は他の領域をやっていますが、ちょうど10年間自動車業界に専属で関わったということになります。
ミシマ サイトーさんはどうだったの?
サイトー 10年前は物理と数学が嫌いな高校3年生でした。
一同 おおっ! 若い!(他のメンバーは40代)
サイトー 理系の科目がとっても苦手で技術系メディアというのは全く視野に入っていなかったです。大学で認知心理学を勉強した後、2013年に自動車業界紙に就職しました。そこで、知識ゼロの中で自動車サプライヤーの担当になったんですが、サプライヤーの皆さんが一生懸命で「こうやって生まれた部品を元に作られた自動車がすごくないわけがない」と思っていろいろ勉強するうちに自動車が本当に好きになりました。今では休みの日にもよく走っています。
サンスー ミシマさんは10年前はどんな感じだったんですか?
ミシマ 私は電機業界紙の記者でしたね。企業担当としては、関東の電機の大手メーカーを担当していて、製品分野としては、家電や放送機器、業務用機器など、コンシューマー向けから業務用まで完成品全般を担当していたという感じですかね。当時はテレビのデジタル化が大きなテーマとなっていて、受像機であるテレビから基地局、カメラなど放送用映像制作機器まで、デジタル化の入り口から出口までひたすら取材していました。
あとは、2007年といえば、Blu-ray DiscとHD DVDの次世代DVD規格争いの終盤で、振り回されまくった記憶があります。最終的には2008年1月のCES(コンシューマーエレクトロニクスショー)で、それまでずっとHD DVDを支持してきたワーナーグループが、Blu-ray Discの支持を決めたことで流れが決定的になり、2008年2月には東芝が終息宣言をするわけです。ただ、当時CES会場にもいましたが、HD DVDの関係者が、がっくりしている様子を見て、はかなさや切なさを感じましたね。
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