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松村礼央氏に聞く「物語を再生する"装置"」としてのロボット、多脚ロボット研究開発プラットフォームの構想ロボットキーマンを訪ねて(3/5 ページ)

コミュニケーションロボットの社会実装を考えたとき、一体、何が必要となるのだろうか。人と、人ではない機械とのコミュニケーションの形を探る。

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コミュニケーションロボットの生きる道

 いまコミュニケーションロボットとして登場している製品の多くは、本質的には人と人とのコミュニケーションをサポートし媒介するメディアだが、松村氏が目指すのは【人と人ではなく、人と機械のコミュニケーション】だ。

松村氏 昔のアニメ、ロボットが子どもと一緒に世界を救うみたいなものもそうですが、基本的に人じゃないキャラクターと人がコミュニケーションして何か問題を解決する物語になっていて、その中で、機械が人間に対してすごく的を射たことを言う。人に言われたらムッとしてしまうことも、ロボットなら受け止められる。

 なぜかというと、ロボットが人との関係や“しがらみ”をそもそも持っていないからだと私は考えます。親に指摘されたら嫌なことや、恋人に言われたら嫌なことのように、他人との関係性で言われたくないことも、ロボットという存在で人由来の関係性から分離されていれば……。そういう存在が自分に対して何かを言ってくれる、というのが、私がコミュニケーションロボットに対して欲している物語の基本形です。

 一方、機械を擬人化して、人間のしぐさ、行動に模して、人間のように扱うということもわりに一般化しているが、そうした展開の仕方もあるのではないだろうか? ただ、それにしても「目的の達成は必要だ」と松村氏は言う。

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ルンバのような掃除ロボットは、掃除という「目的」を期待通りに果たすことでインタラクトする

 何かの役に立たないと、そもそも誰も導入しない(何の役にも立たない、という役の立ち方はあるかもしれないが、それはより難しい)。例えばルンバのような家庭用掃除ロボットの場合、私たちの現在の住環境で掃除というタスクをほぼ確実に期待値どおりに達成できる。掃除ができるという機能で、私たちに対してインタラクトする。その上で、掃除中にスタックしてしまうその様子が「かわいい」というような関係性をつぐむことができているのだ。

 また、松村氏は「何がリウォードを考えずに進めることはごまかしだと思う」とも言う。ロボットによるリウォードを決めず、環境の仕様も定めず、ロボットの仕様を決定すると、何を解きたいのかよく分からなくなってしまうのではないか。「プラットフォームを用意しました、さあ、皆さん。何がやりたいですか?」という形では、日常生活というシステムになかなか組み込まれていかないだろう。それでは、今回のロボットブームにおいても何も変わらなかったということになってしまう。

松村氏 ロボットが普通に暮らしている家庭で家族の一員になるかというと、技術者や愛好家のニッチな用途、もしくはビジネス向けを除いて困難だと思います。あくまで個人的な意見ですが。ユーザーの得るリウォードが、いまある環境をロボットのために劇的に作りかえるコストより明らかに小さいように見えるので。

 その観点から、私は社会実装する場所として、家庭ではなくアミューズメント施設やテーマパークを見据えています。そこが研究機関とコンシューマーの世界のギリギリの境界かと。ユーザーがわざわざ来たくなるような領域で、人とロボットを制御するための物語を選定し、それを再生する舞台をどう実現するか。コミュニケーションロボットをコンシューマーに売る、というよりは、物語と舞台の選定を中心的に考えて進めています。

 もちろん提供した物語がユーザーの家庭においても重要であれば、そこから必要な実装コストを割り出し、コンシューマーへの提供がすすむ可能性は十分考えられます。ただ、それはさらに先の話だと考えています。

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