検索
連載

働くロボットの森――ソーラーフロンティア、量産効率で勝つ21世紀型国内工場の姿小寺信良が見たモノづくりの現場(8)(5/5 ページ)

大量生産モデルでは日本の製造現場は中国やASEANに勝てない――。そんな通説に真っ向から挑んでいる太陽電池メーカーがある。ソーラーフロンティア宮崎第3工場(国富工場)だ。ロボット化と人手によるバランスを追求した新たな国内工場の姿を小寺信良がお伝えする。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena
前のページへ |       

過去に類を見ない大転換に成功

 この工場は、もともとソーラーフロンティアが建てたものではない。そもそもは富士通の半導体工場であったが、プラズマディスプレイの製造に乗り出すということで、大きな建屋を1つ拡張した。その後1999年に日立製作所と富士通の合弁で、プラズマディスプレイの生産を拡張するということで、もう1つ建屋を作った。これで現在の原型となる建屋が完成した。

 ところが2008年に富士通がプラズマ事業から撤退し、日立製作所単独のプラズマ工場となった。さらに日立も1年足らずでプラズマ事業からの撤退を決めたことで、この工場が売却されることになった。

 ソーラーフロンティアは当時、宮崎県清武町に第2工場を稼働させ、さらなる増産拠点を探しているところだったため、いいタイミングでこの巨大工場を譲り受けた。土地・建屋と一部従業員を譲り受けて、たった1年半で全然違うものを作る工場に転換するという、一大プロジェクトであった。

 大きなガラスを扱うという点では似ているが、製造プロセスで共通項は1つもなく、技術的な応用もない。建屋と空調などの基本設備を残し、内部は総入れ替えとなった。許認可の都合で建屋の改造も許されないため、"既成品の服に無理やり体をねじ込む"ような作業であったという。

 製造装置の搬入や設置、さらに新しい製造プロセスの研修、調整など、旧日立プラズマディスプレイとソーラーフロンティアの社員が、1年半まさに寝食を共にする勢いで一緒に立ち上げを行ったことで、深い絆(きずな)が生まれた。また、残る決断をした日立の社員も優秀だった。第2工場からも相当のスタッフが参加し、相当の数の問題と戦っていった。このスピードで生産開始にこぎ着けることなど不可能といわれていたが、このミッションを見事クリアし、2011年2月から一部のラインで生産を開始した。

大量生産で日本が勝つ

 日本のモノづくりにおいては、日々の「カイゼン」が求められる。その多くは人的プロセスの最適化という側面が強いが、完全自動化を実現した工場だからといって、日々のカイゼンがなくなるわけではない。

 自動で動く機械であっても、それが自動で動き続けるようになるというのは、実は大変な調整が必要である。動いたら動いたで、他の機械とのタイミングのズレ、摩耗、劣化、変形、過負荷、電気系統のトラブルなど、いつか必ずどこかが故障する。メンテナンス以外に、リスクマネジメントも必要だ。

 そしてまともに動いた後で、初めてその中でどうやってパフォーマンスを上げていくかという話になる。機械に待ち時間が発生したら、どこにボトルネックがあるのか。その時間はどうやったら詰められるのか。5秒間に1枚というペースで製造を行っていても、まだまだパフォーマンスが上げられる余地があるという。

 新世代の太陽電池製造とは、例え人件費が高くても、日本人がノウハウを持っている以上、日本で作る以外に考えられないタイプのモノづくりである。大量生産で日本が勝つという、もう過去数十年なかった展開がありうる分野なのだ。

筆者紹介

photo
photo

小寺信良(こでら のぶよし)

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

Twitterアカウントは@Nob_Kodera

近著:「USTREAMがメディアを変える」(ちくま新書)




Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

前のページへ |       
ページトップに戻る