歯磨きは「手」ではなく「ロボット」で――歯ブラシ革命に挑むGenics:越智岳人の注目スタートアップ(13)(3/3 ページ)
全自動口腔ケアロボット「g.eN」を手掛ける早稲田大学発スタートアップのGenics。従来の歯ブラシとは一線を画す革新的な製品の特長や開発の舞台裏、今後の展望などについて、創業者の栄田源氏に話を聞いた。
専門家や現場の関係者と連携し、一から新たな歯ブラシを発明
かつて海外で話題になったマウスピース型全自動歯ブラシも、Genicsが当初検討した選択肢の一つだった。上下の歯を一気に覆うシリコーン製のパーツをかむだけで清掃できるという発想だが、「かむ力で振動が殺されてしまう」「歯列の個人差に対応し切れず、磨き残しが出る」という大きな課題があった。結果的に「ブラシ自体を動かして歯をなぞる」アプローチこそが最も合理的だと判断し、試作の方向性が決まったという。
マウスピース型全自動歯ブラシは、クラウドファンディングで中国のスタートアップが約6000万円、米国のスタートアップが約4億円の資金調達に成功している例もあるが、歯垢の除去効果が不十分なことから炎上したり、事業撤退したりするケースも見られる。Genicsは先行する海外の事例に飛び付くことなく、専門家や現場の関係者と連携して、一から新たな歯ブラシを発明する道を選んだ。

歯ブラシだけでなく、本体の動きにも独自の工夫が凝らされている。歯ブラシが左右に移動すると同時に歯ブラシが回転して磨くことで、手で磨くよりも精度の高い歯磨きを実現している[クリックで拡大] ※撮影:筆者
そうした過程から、試作の段階から一部の歯科医療関係者の協力を仰ぎ、歯垢除去効果や口腔機能維持への効果を検証していたが、2023年に入ってようやく製品の有効性をまとめた論文が日本ヘルスケア歯学学会で発表された。これによりg.eNが口腔ケアに有効な製品だというエビデンスが明文化され、ユーザーや介護現場の担当者に説明する際の説得力が格段に増した。「研究の裏付けがなければ『歯磨きは自分でやるもの』という先入観を崩すのが難しかったが、論文のおかげで新たな施設や医療機関とも連携しやすくなった」(栄田氏)。
g.eNが専門家からのお墨付きを得たことは、導入を検討する利用者の安心材料につながった。同時にGenicsにとっても、それまで以上に製品開発や事業開発、営業に自信を持って取り組めるようになった。栄田氏は「やはり科学的エビデンスの力は大きい。口の中という繊細な領域を扱う以上、論文で裏付けを示せるのは必須だった」と振り返る。
栄田氏が開発者として最も大切にしているのは、現場に積極的に赴いてユーザーの声を聞くことだ。
「ちゃんと磨けることを突き詰めながら開発を進め、口に入れたときの感覚という数値化できないものを情報として吸い上げて、改善するサイクルが重要だ。そのためにも、率直な意見をどれだけ引き出せるかが鍵であり、言葉の裏にある本音を見極めなければならない。現状ではg.eNを利用できないユーザーに対しても物理的な問題か、心理的な問題かを切り分けて足元の開発や今後の計画に反映している」(栄田氏)
目指すは世界展開と、口から始まるデータ革命
理想の口腔ケアロボットを生み出し、その有効性を示したGenicsは、g.eNをさらに多くのユーザーへ普及させるため、国内外での展開を加速したい考えだ。高齢化が進む国や障害福祉の需要が高い地域では、「片手で支えながら歯磨きが完結する」という価値がいっそう大きいと見ている。今後は一般販売も視野に入れ、研究/開発から実用化までのサイクルをさらにスピードアップしていく方針だという。
もう一つの大きな目標は、g.eNを健康管理のプラットフォームへと進化させることだ。歯磨きは毎日欠かせない行為であり、そこで得られる唾液やかみ合わせの情報を継続的に蓄積すれば、新たな医療/介護サービスが創出できる可能性がある。「従来の電動歯ブラシは振動させるだけなので多機能化が難しかった。g.eNは歯磨き動作自体をロボットが制御する分、センサーやカメラを追加しやすい。いずれはAI(人工知能)連携で分析したデータを医療機関と共有し、より早期の歯周病発見や健康管理に役立てたい」(栄田氏)。
もっとも、全ての人の歯列に完全対応する“万能ブラシ”をいきなり作り上げるのは困難だ。現状でも口の開きにくい人や、歯が部分的に欠損している人など現行品では対応が難しいケースもある。しかし、これまでの研究開発で得た知見と、高速な検証サイクルで培った技術力とアイデアがあれば「道は開ける」と栄田氏は強い自信をのぞかせる。
手で磨く非効率な歯磨きを全自動にする先駆的なロボット技術を通じて、世界の介護や福祉にイノベーションをもたらす――。g.eNが実現する新たな口腔ケアは、今後ますます注目を集めるに違いない。
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