技術者たちの「予見」が、リチウムイオン電池の安全を支えている:今こそ知りたい電池のあれこれ(17)(3/3 ページ)
今やリチウムイオン電池は私たちにとって身近で欠かせない存在となっています。その一方で、取扱いを誤ると重大な事故を引き起こしかねない危険性を有していることも事実です。今回はリチウムイオン電池の「安全性」について、これまでの連載とは少し視点を変えて考えていきたいと思います。
試験でカバーしきれない事象もある
注意すべきなのは、このような規格試験で評価できる「安全性」というのは、あくまでも「規格の範囲内」のリスクの有無についてのみであるということです。
例えば冒頭でご紹介したハリケーンによる水没後の発火事例ですが、一説では海水を浴びたために生じた腐食がその一因ではないかとされています。しかし、これまで解説してきた「安全性」に関する考え方にのっとれば、屋外で使用する製品に対して、海水暴露が「予見不可」であったというのは道理が通りません。そしてもちろん当然ながら、塩水噴霧試験のような環境影響を想定した試験規格も存在します。
それでも、今回のような発火事故は起こります。それはなぜか? 端的にいえば、現状の試験規格では現実に起こる事象を全て想定してカバーできるわけではないからです。
塩水噴霧試験の例で考えても、一般的な試験規格に定められている条件が実際の環境条件を模擬できているとは限りません。例えば、塩水噴霧試験では蒸留水と99.9%NaClを混合した高純度食塩水を使用するのが一般的です。これは、世界中のどこでも再現可能な試験条件という意味では、試験規格として理にかなったものではあるのですが、実際に電池がさらされる環境条件の模擬という点では不十分であるともいえます。
当たり前かもしれませんが、実環境で使用される車両が暴露する水分、海水や雨水というのは純粋なNaCl水溶液ではありません。その中にはNa+やCl−以外のイオンも含まれます。イオン種が異なれば腐食の発生度も異なるため、塩水噴霧試験では確認できなかった熱暴走の誘発などの挙動を示す可能性があります。
また、塩水噴霧試験は電池を始めとする部品単位で行われるのが一般的であり、各種電装部品を取り付けた大型の電池システムや、電動車両そのものが丸ごと一式水没した場合にどのような挙動を示すのかといった点までは評価することができません。
このように規格試験で評価できる「安全性」というのはあくまでも規格の範囲内のリスクの有無についてのみです。もちろんこれは塩水噴霧試験に限らず、その他の試験規格についても同様です。さらにいえば、これは電池に限った話でもありません。世の中には数多くの安全性を評価する試験がありますが、それらの試験結果からはその試験条件の範囲内の安全性しか判断することができません。
製品やシステムの用途や目的によっては、安全性を評価する規格試験の枠を超えた領域の試験、いわゆる「過剰試験」や「限界試験」と呼ばれる試験をもって、製品やシステムが有する「リスク」「危険性」「限界点」を見極めるための評価を実施する必要があります。
製品を開発する上で、どんなレベルのリスクまで想定するのか? そのリスクを評価するためにはどんな条件の試験をする必要があるのか? 普段何げなく口にする安全という言葉でひとくくりにしてしまいがちな要素ですが、その背景には技術者たちの想像力と苦心の積み重ねがあるのかもしれません。
ただし、過剰試験や限界試験の実施は相応の危険を伴い、適切な規模の試験環境が必要となる場合が多く、メーカー単独では実施が困難な場合も少なくありません。日本カーリット 危険性評価試験所では、製品の発火や爆発を伴うような試験でも安全に実施できる設備、試験環境を提供しています。
リチウムイオン電池の異常発熱およびそれに起因する発火事故は、ひとたび発生すれば非常に大きな問題となります。そういった事象はどうしても目につきやすく、過度に危険な印象を抱きがちです。そして近年のリチウムイオン電池の急速な普及に対して、試験規格を始めとする安全対策や環境整備が追い付いていないと思われる場面もあり、ユーザー側が考える「安全」とは異なる水準の「安全性」を有する製品が市場に出回ることで発生する問題もあるかもしれません。日本カーリットの受託試験部では、今後も電池の性能評価を通し、製品の「安全性」向上に貢献できるよう努めて参ります。
電池は今や私たちの生活には欠かせない存在です。むやみに恐れるのではなく、その性質を正しく理解し、適切な運用方法を守って上手に付き合っていきましょう。
著者プロフィール
川邉裕(かわべ ゆう)
日本カーリット株式会社 生産本部 受託試験部 電池試験所
研究開発職を経て、2018年より現職。日本カーリットにて、電池の充放電受託試験に従事。受託評価を通して電池産業に貢献できるよう、日々業務に取り組んでいる。
「超逆境クイズバトル!!99人の壁」(フジテレビ系)にジャンル「電池」「小学理科」で出演。
▼日本カーリット
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▼電池試験所の特徴
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▼安全性評価試験(電池)
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