アップルVSサムスン訴訟を終わらせた日本の工作機械の力:知財専門家が見る「アップルVSサムスン特許訴訟」(3)(2/2 ページ)
知財専門家がアップルとサムスン電子のスマートフォンに関する知財訴訟の内容を振り返り「争う根幹に何があったのか」を探る本連載。最終回となる今回は、最終的な訴訟取り下げの遠因となった「新興国への技術移転」の問題と「なぜ米国で訴訟取り下げを行わなかったのか」という点について解説します。
製造技術による壮大なブーメラン
工作機械が有効な製品分野と無線通信分野では事情は異なりますが、デジタル化の生産方式への影響は基本的に同じです。従来の伝統的な製造業の場合には、蓄積された技術力を持つ企業しか市場参入ができませんでした。しかし、デジタル化が進んだ市場では、資金力と柔軟な発想を持つ企業であれば市場参入が可能になりました。さらに、製造技術を活用することで、短期間で主要なプレーヤーとなることができるのです。これらの新たなプレーヤーたちは、伝統的な価値観と事業形態に縛られて動きの遅い企業に対して、国際市場からの退場を促しているともいえます。
このような事業モデルの多くは、米国で考え出されたものです。そこで生まれた製品アイデアにもとづく革新的製品は、ファブレスという生産様式の下で、労賃の安い外国で製造され、それが先進国市場にブーメランのように還流するのです。
この設計と生産の分離は、生産拠点となった新興国に局所的な技術ストックをもたらしました。それが、基本ソフトを含む標準化された汎用ソフトウェアの利用によって、ノウハウを蓄積した伝統的な企業をも凌駕(りょうが)するようになったのです。そこでは、国家や産業全体というマクロな技術基盤の底上げのための非効率な分配をせずに、有限のリソースを特定の分野に限定して振り向けることで国際競争力を得ることを目指すのです。韓国はICT分野に特化して国際競争力を高めてきました。そして現在、サムスンやLGというグローバルな競争力を持つ企業が現れました。台湾でもHTCは、スマートフォン市場の主プレーヤーの一角を担っています。
今後は、ICT分野に限らず、あらゆる分野で、技術的、営業的、経営的なノウハウが標準化・パッケージ化され、それが汎用ソフトとして提供されていくことになるでしょう。その場合に汎用ソフトに含まれるような知的財産権が、これまでのように独立した排他権を主張できるかどうかは不透明です。ソフトウェア特許の潜在的な問題について、米連邦取引委員会(USFTC)が2003年に特許制度の見直しを含めた問題提起を行っています。アップルとサムスンの知財紛争は、まさにそのような不透明な問題への回答をわれわれに求めていたのです。
迫られた事業戦略の変更
最後に、アップルとサムスンの米国を除く裁判の取り下げ声明に関する2つの疑問点について考えてみます。「なぜ2014年8月に訴訟を取り下げたのか」と「なぜ米国の裁判は除外されたのか」です。
まず「米国を除く諸外国で訴訟を取り下げたのはなぜか」ですが、それはスマートフォンの販売データを見ると明らかです。サムスンのスマホのマーケットシェアは下降を続けています。また、アップルもシェアを落としている状況は変わりません。両社はこれまで市場の2強ともいえるメインプレーヤーでした。つまり、それぞれのシェアを落とさせることがそのまま自社の利益につながる状況だったわけです。しかし、中国のHuaweiやLenovo、Xiaomiなどの新興メーカーが大幅にシェアを伸ばしており、両社のシェアが食われていることが明確化してきました。ライバルはアジアの新興勢力となったわけです。これでお互いが訴訟を通じてけん制し合う理由がなくなったというのが理由です。
それではなぜ「米国では裁判を続けるのか」ですが、これは今後の新たな訴訟に向けた布石のためだと考えられます。企業の戦略に関わる問題であり、部外者が知り得るものではありませんが、推測は可能です。
つまり、アップルやサムスンが、新興勢力をけん制しようとした場合、そのツールとして有力なのは特許を中心とした知財権となります。これまでの連載で取り上げてきたように、新興企業が多くの知財を保有しているとは考えにくいためです。そして、米国が依然として重要な市場である限り、特許の権利行使は不可欠なものとなります。
ところが、FRAND宣言した特許の効力(差し止め)について、米国裁判所の判断は確定していません。この判断が確定しない限りは、今後の新たな戦略は立てようがありません。そこでこの判断を待って方針を策定しようという“見極め”の姿勢に入っているのだと推測できます。この司法判断については間もなくめどが立つと予想されており、それを踏まえて今度は新興勢力に対する知財攻勢を行うことになることが予想できるのです。
◇ ◇ ◇ ◇
3回にわたってアップルとサムスンの訴訟について、解説してきましたが、いかがでしたか。本連載で取り上げてきたように、知財の立場で既存の問題を見ていくだけで、現在の企業や市場の抱えるさまざまな問題点を明らかにすることができます。今後の製品戦略や事業展開において、1つの切り口として役立てていただければ幸いです。
(連載終わり)
筆者プロフィル
藤野仁三(ふじの じんぞう) 東京理科大学院 知的財産戦略専攻(MIP) 教授 Webサイト(http://www.jinzofujino.net/)
福島大学経済学部卒。早稲田大学大学院法学研究科修了(経済法専攻)。日本技術貿易株式会社および米総合法律事務所モリソン・フォースター東京オフィスにてライセンス契約、海外知財法制調査、海外訴訟支援などを担当。2005年から東京理科大学専門職大学院MIP教授。専門は技術標準論と米国特許法。著書に『知財担当者のための実務英文入門』、『標準化ビジネス』(共編著)、『米国知的財産権法』(訳書)、『よくわかる知的財産権問題』、『特許と技術標準』がある。東京大学情報理工学系研究科非常勤講師。
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