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FPGAを発明したXilinxとセイコーエプソンの知られざる深イイ関係プログラマブルロジック本紀(5)(2/3 ページ)

FPGAに代表されるプログラマブルロジックICの歴史をたどる本連載。第5回は、Alteraの成長をけん引したCPLDの製品展開などについて取り上げた第4回から少し時間を巻き戻して、Alteraの競合であるXilinxの創業前後の時期について触れてみたい。

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なぜZilogはFreeman氏のアイデアを採用しなかったのか

 当時のZilogはExxonの傘下にあった。これは、Z80に続いてZ8000の開発に取り掛かっていたZilogはまだIPO(新規株式公開)しておらず、さまざまなファンドから資金を集めて運営されていたことに起因する。まずはExxon EnterprisesというExxon子会社の投資ファンドから出資を受けたが、この際にExxon EnterprisesはZilogの株の51%を獲得して同社の経営権を握り、1980年にはExxonに子会社化されてしまう。

 そんなExxonにとって、この新しいデバイス(この当時は成功しても1億米ドル程度の規模と見積もられた)のために出資するのはリスクが高いと判断されたらしい。結局Freeman氏はZilog社内でこれを実現するのを諦め、新しく会社を創業することを決めた。ちなみにこの際にもう1人誘ったのが、同じくVP&GMのポジションに居たVonderschmitt氏である。このVonderschmitt氏の存在は、Xilinxの立ち上げに非常に大きな助けとなった。

 Vonderschmitt氏は、Zilog入社前はRCAで30年以上の経験を積んでおり、同社のSolid State DivisionのVP&GMを務めていた。Solid State Divisionでは、COSMOSという名前のCMOSプロセスを開発していたのだが、このCOSMOSのライセンスを求めたのがセイコーエプソン(当時の社名は諏訪精工舎)である。

 セイコーエプソンは自社のデジタル腕時計の製造のためにCMOS技術を必要としており、RCAはCOSMOSプロセスをセイコーエプソンにライセンス供与する。1971年にはこれを用いたICの製造に成功し、1973年には自社Fabも稼働。セイコーの液晶デジタル腕時計向けのICの製造と供給を開始している。

 こうした経緯もあって、Vonderschmitt氏はセイコーエプソンの草間三郎氏(当時は半導体事業本部長、後に代表取締役社長や会長も務めた)と親交を深めており、これがXilinxの立ち上げに非常に有利に働いた。当時セイコーエプソンはグループ企業向けのICを製造するだけでなく、外部顧客の製造委託を始めることを考えており、一方Xilinxはファブレスであることを早くから決めていた。なぜかというと、Vonderschmitt氏のRCA時代の経験が生きていたからだ。

 同氏がRCAで勤めていたSolid State Divisionは、プロセスの微細化には巨額の投資を必要としていた。ところが、RCAにとってSolid State Divisionは副次的な事業でしかなく、投資は民生用機器や放送機器に集中していたため、プロセスの微細化への投資は見送られた。RCAという大企業の傘下でもこの状況だったので、スタートアップ規模の会社では自社Fabを保有することなど非現実的、というのがVonderschmitt氏の考え方だった。実際に、Xilinxの創業に当たっては合計で数百万米ドルの出資を複数のファンドなどから集めることができたが、Fabを自社で保有しようとしたら出資金額は2桁足りないことになる。

 そしてXilinxは、初期の製品について、その製造をセイコーエプソンに委託することにした。ここでVonderschmitt氏と草間氏の関係が生きた格好だ。ただし、セイコーエプソンのプロセスはもともとがデジタル時計用ということで、歩留まりを最大にすべく設計ルールは非常に保守的であり、ダイサイズも小さく、また動作周波数はわずか32kHzと低かった。対してXilinxのFPGAの設計内容は、この保守的なFabに収まるものではなく、ダイサイズが大きく、動作周波数も数十MHzを目指していた。詳細は明らかにされていないが、最初のテープアウトまでの間には随分と苦労があったらしい。トップ同士の強いつながりがなかったら、製造は実現しなかったかもしれない。

 話を少し戻す。1984年2月にXilinxが創業すると、まずZilogのWilliam S. Carter氏を引き抜いた。もともとCarter氏は、Z9000の設計に当たりFreeman氏が採用した人材で、Zilog時代は常にFreeman氏の部下であった。それもあってFreeman氏のZilog離脱にすぐ付き添う形でXilinxに移っている。

 余談だがXilinxという社名、米国CHM(Computer History Museum)の“Oral History of Bill Cartar”によれば、会社登記するに当たって幾つかの社名の候補があり、そのうちの一つが“Xlinks”だったらしい。そこでCartar氏はFreeman氏に“Xlinksと聞くとドラッグストアで買う商品を連想するから止めてくれ”と頼んだら、Xilinxになったらしい。一応意味的には両端のXがProgrammable Logic(プログラマブルロジック)で、それらの間をProgrammableなLinkでつなぐ、ということらしい。

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