FPGAを発明したXilinxとセイコーエプソンの知られざる深イイ関係:プログラマブルロジック本紀(5)(1/3 ページ)
FPGAに代表されるプログラマブルロジックICの歴史をたどる本連載。第5回は、Alteraの成長をけん引したCPLDの製品展開などについて取り上げた第4回から少し時間を巻き戻して、Alteraの競合であるXilinxの創業前後の時期について触れてみたい。
前回は、Alteraの成長をけん引したCPLDの製品展開や、1990年代前半まで続いたXilinxとの競合などについて取り上げた。今回は、1984年まで時間を巻き戻して、Alteraの競合であるXilinxの創業前後の時期について触れてみたい。
Zilogに勤めていたFreeman氏によるFPGAの構想
1984年、Ross Freeman氏、Bernard Vonderschmitt氏とJames V. Barnett, II氏の3人によってXilinxが創業された。
Freeman氏は1971年にイリノイ大学で修士号取得後に平和部隊(日本で言う所の海外協力隊)に2年参加の後、Teletypeに入社し、ここでPMOS設計の経験を積む。その後、Federico Faggin氏らが創業したZilogに初期メンバーの1人として参加して、Z80のシリアルインタフェースICであるZ80-SIO(Serial Input/Output Controller)の設計を担当した。その後Freeman氏は、同社のComponents DivisionのDirector of Engineeringに就任している(最終的にはVP&GMに昇進した)。
そんなFreeman氏だが、在職中にFPGAの基本的なアイデアを思い付く。それはいわば、空白のロジック回路を用意し、後から任意の回路を実装できるというものだ。この当時、数千もの顧客に対してカスタムIC(まだLSIほどの規模には達していなかった)を製造/提供する会社は恐らく数百近く存在した。Zilogもまたその例に漏れないわけだが、こうしたカスタムICの設計と製造には相応の時間とコストがかかる。おまけに顧客が突如として要求を変えたりすると、場合によっては設計が根本からやり直しになる。
何かこうAlteraの創業の動機とかなり近いものを感じるわけで、違いはフルカスタムかゲートアレイか程度でしかない。思うにFreeman氏も(Alteraを興した)Robert Hartmann氏も、こうしたさまざまなカスタムICの設計/製造に振り回されていた状況に嫌気が差したのではないかと思う。かといって「そんなこと言うなら手前でやれ」とか言いたくても(ビジネス的以外に技術的な問題で)言えない状況を何とかしたかった、というあたりがそもそも思い付いた動機ではないかと筆者は勘繰っている。
下種(げす)の勘繰りはともかくとして、コンセプトは明確である。カスタムICといっても基本はロジック回路であり、そしてロジック回路は突き詰めるとNANDゲートの組み合わせである(AND/OR/NOT/NOR/XORなどの回路は全てNANDで実現できる)。極端なことを言えば、NANDを大量に敷き詰めて、後はどうつなぐかを後から自由にプログラミングできれば、それで目的は実現可能だ。ただこのつなぎ替えのプログラミングは非常に難しい。
そこで逆転の発想というわけでもないのだろうが、ロジック回路(AND/OR/NOT/NAND/NOR/XOR)同士の接続は固定(これも実際にはもう少し巧みだが)にして、逆に回路の方を自由に変更できるようにすればいいというものだ。AlteraはここでEPROMを利用して実装したわけだが、Freeman氏はCMOSの設計には長けていたもののEPROMは未知数だったことと、EPROMが遅いことも気になったのだろう。これをSRAMで実装することにした。これによりデバイスの小型化や高速化が実現できる、というメリットもあった。
Freeman氏がこのアイデアを思い付いたのは、香港出張から戻って半年ほどたった1983年1月のことで、同僚だったBarnett氏もこのアイデアに賛成する。そこでFreeman氏はこのアイデアをZilogの上層部に提案するものの、取り上げられることはなかった。
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