検索
連載

レナード・ニモイがAlteraのCPLDを隆盛に導いた!? Xilinxとの競合も始まるプログラマブルロジック本紀(4)(2/3 ページ)

FPGAに代表されるプログラマブルロジックICの歴史をたどる本連載。第4回は、隆盛を極めたAlteraのCPLDの事業や製品の展開について取り上げる。また、この時期からAlteraとXilinxの競合も始まった。

Share
Tweet
LINE
Hatena

当時のAlteraとIntelの関係

 当時の広告を見ると、このEP1200は16MHz動作で消費電力は400mW(アクティブモード時。スタンバイ電力は15mW)とされ、単価は129.00米ドルという話だったが、実際にこれは量産されなかった公算が高い。

 というのは、AlteraもIntelも、このEP1200の製品データシートを出していないからだ。この後でEP1210が登場するのだが、こちらは-50(15MHz動作)/-65(12MHz動作)/-90(10MHz動作)が用意されており、16MHz動作の製品はついに出ていない。おそらくES(エンジニアリングサンプル)品は16MHz動作としてリリースしたものの、16MHz動作を担保できるだけの製品の量産が難しかったのではないかと想像される。結局内部の変更を行い、動作周波数も妥当な値に下げたものがEP1210として量産された、というあたりではなかろうかと思うのだが、正確なところは分からない。

 いずれにせよ、EP1200はES品以外は出回らなかったようだ。そしてEP1210が1985年に出荷される。ちなみにEP1200/1210がなぜ“1200”かというと、内部はほぼ1200個の2入力NAND Gatesに相当する、というところから来ている。このEP1210も恐らくは先に述べた、Alteraの売上高の急成長に貢献したのだと思われる。これに続き同社はラインアップをさらに拡充している。1988年のAltera Data Book(図6)によると、汎用品としてはEP300の延長にあるEP310/EP320があり、これは構造的にはMacrocellが古い構造のままだが、PLAの代替品ということで引き続き投入されている。

図6
図6 AletraのEPシリーズのラインアップ。なぜかEP1210がない[クリックで拡大] 出所:1988年のAltera Data Book

 ただし、その上位にあたるEP512(512 Gate)、EP600/610(600 Gates)、EP900(900 Gates)、EP1800(1800 Gates)はいずれもEP1210のMacrocellの構造を引き継いだものとなっている。興味深いのは、EP1210がもうこの時点で姿を消していることだ(ただし、Intelは引き続き提供している)。実は、EP900/EP910は900Gate相当と言いつつ、実際にはほぼEP1200と同等の処理が可能(24Macrocellを搭載)になっている。大きな違いはBuried Register(埋め込みレジスタ)がないことで、これはEP512およびEPB1400シリーズでのみ提供された。

 ところで、先ほどからなぜIntelの名前が出ているのかというと、実はIntelは1984年10月にAlteraの製品のセカンドソース契約を締結しており、これに基づき1985年からAltera互換の製品を出荷している。図7は、Intelの1988年度版Programmable Logic Handbookの付録だが、例えばEP310はD5C031という名称で、EP900はD4C090という名称でそれぞれ出荷されていることが分かる。そして、同書にはD5C121がEP1210相当だとあるわけだが、つまりIntelはまだD5C121をディスコンにしていないことが確認できる。実は先に挙げた図3や図4は、このIntel D5C121として示された図面を利用している。もっとも、同書でも「出所はAltera」と明記されているので、EP1210と同じものであると判断できるが。

図7
図7 IntelのAltera互換製品のラインアップ。型番ルールがちょっと謎である。ちなみにこのIntelのCPLDビジネスは1994年にAlteraが買収している[クリックで拡大] 出所:Intelの1988年度版Programmable Logic Handbookの付録

 さて、これらの製品の拡充により、Alteraの売上高はどんどん拡大していく。1988年にはIPO(新規株式公開)に成功し独立企業となった。1989年の売上高は、前年比55%増の5900万米ドルとあるから、1988年はおそらく3800万米ドル程度の売上高だったのだろう。この1989年の純利益は1100万米ドルに達したそうだ。

 また1989年の大きなトピックとして日本で代理店と契約したことが挙げられる。契約したのはJMC(ジャパンマクニクス:現在のマクニカ)とPALTEKの2社であり、1990年には2社の代理店による日本市場の売上高が全体の15%に達したそうだ。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る