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データを生みだすプロダクトの価値をさらに高める、日立産機が描く勝利の方程式日立の新成長エンジン「コネクティブ」の全貌(3)(2/3 ページ)

日立の製造業としての側面を色濃く残すコネクティブインダストリーズ(CI)セクターに迫る本連載。第3回は、中量産の産業機器事業を展開する日立産機システムをクローズアップする。

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米国駐在を経験、企業買収で事業拡大

MONOist 日立製作所に入社してからのキャリアを教えてください。

竹内氏 1991年に入社後は産業機器の海外営業をしていて、早く駐在に行かせてほしいとずっと言っていた。2000年ごろから中国に出張に行くようになり、中国駐在になると思ったが、2003年から米国(Hitachi America)に駐在することになった。

日立産機システム 取締役社長の竹内康浩氏
日立産機システム 取締役社長の竹内康浩氏

 当時の米国における産業機器事業はそれほど大きくなく、“畳むか伸ばすかのどちらか決めてこい”といわれたが、血気盛んな営業が畳む選択をするわけがない。新しいチャネルを作ったり、足りない部分は調達したりと、事業開発のようなこともやり、日本に帰国するときには5倍くらいの事業規模になっていた。

 2013年に帰国する時、日立産機システムの米国事業について2つの提案をした。

 1つは米国にインク工場を開設することだ。当初、産業用インクジェットプリンタのインクは工場がある日本から輸入していたが、危険物として扱われることもあり輸送コストが結構かかってしまう。また、インクの使用期限は短いもので半年程度であり、輸送している間にその期限も短くなる。やはりそこは地産地消であるべきと考えた。

 もう1つがメキシコ拠点の設立だ。当時、日系自動車メーカーがメキシコに相次いで進出していた。現地の代理店に任せていたのでは自動車メーカーとのコネクションが弱まってしまうと考えた。そこでメキシコに営業拠点の設立を提案した。

 結局、2つとも帰国後に携わることになった。

 帰国後は日立産機システムの経営企画本部でグローバル事業戦略部長に就いた。その頃、日立グループ全体でIT系が伸びてきた一方で、プロダクトの強化が課題となっていた。そのため、プロダクト強化のためのM&Aの提案を求められた。経営企画本部は当時の日立産機システムの社長を務めていた青木さん(青木優和氏、日立 執行役副社長 コネクティブインダストリーズセクター長を務めた後、現在は日立グローバルライフソリューションズ 取締役会長)が作った組織だ。これには、今後買収なども積極的に進めていく意図もあった。

 その時に提案した買収候補のうちの1社が、米国のコンプレッサーメーカーであるSullair(サルエアー、現日立グローバルエアパワー)だった。

 米国駐在中にノースカロライナ州シャーロットに日立産機システムの拠点が作られた。これは円高で一度取りやめた米国でのコンプレッサー事業を再開するためだった。シャーロットには他のコンプレッサーメーカーの拠点が多く、人材の確保の面でもいい立地だった。そこで新しいチャネルをたくさん作ったが、一番多かったのがサルエアーの代理店だった。サルエアーもわれわれと同じ事業領域だった。

 その当時、日立の中では企業買収の経験があまりなかったので、“できるわけがない”という声もあったが、挑戦することになった。企業買収では日立物流(現ロジスティード)が先行していたので、勉強をさせてもらったこともあった。サルエアーの買収では、本格的な交渉を始めるまで2年ほどかかったが、2017年に買収することができた。

 買収完了後、サルエアーのCOOに就き、2020年からはCEOになった。だが、コロナ禍で売り上げが大きく減り、100人近くの従業員をファーロー(一時的無給休職)しなければならなかった。これは会社生活の中で一番つらかった。なんとか黒字を保った上で、2021年4月に日立産機システムの社長として日本に戻ることになった。

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