「原因究明」「過失捜査」どちらが優先? 海難調査の“法的”事情:船も「CASE」(2/3 ページ)
航空機事故や海難事案ではしばしば「事故原因調査を優先すべき」「責任処罰捜査を優先すべき」という議論がなされるケースが多い。ここで注意したいのは、事故原因調査と責任処罰捜査は必ずしも相反するものではなく、両方が適切に組み合わせられることが“国際標準の事故調査メソッド”において認められていることだ。それぞれが独立してなされることで、より包括的な事故対応が可能になるとされている。
「事故調査の独立性」「透明性」「国際協力の重要性」に関する具体的な内容は以下の条文に記述されている。
独立性:第16.1条
海上安全調査は偏見なく行われるべきであり、情報の自由な流れを確保するために独立性が必要であるとする。調査員は、海難事故または海事インシデントに関わる当事者、行政的または懲戒的な措置を取る可能性のある者、および司法手続きから機能的に独立している必要がある。なお、第13.3条で、報告書“案”の回覧において報告書に含まれる証拠を民事訴訟や刑事訴訟で使用しないという保証を確約しない関係国には送付しなくてもよいと規定していることも司法手続きからの独立を確立しているといえるだろう(注意:正式な報告書は大衆への公開が前提となっているため、例えば、当局担当者が「公開された報告書の記載内容をどのように利用するかは司法関係に委ねられる」と回答しているのを国土交通省の運輸安全委員会議事録などで確認できる)。
透明性:第14.4条
最終的な海上安全調査報告書が公衆や海運業界に公開されるべきであることが述べられており、調査の結果が広く共有されることで透明性が確保できるとしている。
国際協力:第10.1条
発生した海難事案に関心を持つ(=影響を受ける)全ての国が調査実施国と協力すべきであり、調査実施国は関心を持つ国の参加できる体制を可能な限り提供すべきであるとしている。
この記事の冒頭で述べた「原因究明調査」と「責任処罰捜査」に関して、MSC255(84)では、調査の目的を「責任の所在を問うことではなく、事故の原因を究明し、再発防止のための具体的な対策を提案することにある」と記述している。加えて、MSC255(84)の採用により、調査の手法が標準化され、かつ、各国間での情報共有と協力が促進されることで、全体として海上の安全が向上できるとしている。
具体的には、第1.1条において、MSC255(84)の目的の1つは海難事故および海事インシデントに対する海上安全調査の実施に関して国に共通のアプローチを提供することであり、かつ、MSC255(84)に準拠して実施する海上安全調査は責任を帰属させたり法的責任を決定したりすることを目的としていないことを明記している。さらに、海上安全調査は、将来の海難および海事インシデントを防ぐことを目的として行われるべきであり、それは調査を実施する国が一貫した方法論とアプローチを適用し、必要に応じて幅広い調査を行うことで達成されると述べている。
日本における海難事案調査の変化と影響
日本では、これらの国際基準に対応する形で、国土交通省の外局として2008年10月に「運輸安全委員会」を設立し、それまで海難審判庁における海難事案の原因調査機能を運輸安全委員会の海難調査室に統合した(海難審判庁のもう1つの機能である行政処分裁決については新たに発足した海難審判所が受け継いでいる)。
国土交通省ではこれらの新体制によって、海難発生原因調査の専門性と独立性が強化され、事故原因の究明と再発防止策の提案がより効果的に行われるようになったと説明している(ただし、記事で後述するように、これについては主に刑事裁判を重視する司法関係者から懐疑的意見も出ている)。
日本の船舶事故調査制度は、運輸安全委員会が発足する2008年10月まで「海難審判制度」によって行われていた。この制度は、事故の原因調査と懲戒調査を1つの手続きの中で行うものだったが、先に述べたSOLAS条約XI-I第6項とMSC255(84)により、原因調査と懲戒調査を分離することが求められたことから、従来の海難審判制度を廃止(もしくは新体制に移行)している。
2008年から始まった運輸安全委員会の海難調査室は、運輸安全委員会の主な目的と同様に事故の再発防止に向けた原因の究明と安全対策の提言にある。その事故調査体制は、組織の枠組み、事故調査の手順、調査官の権限など、詳細な規定に基づいて構築され、事故の原因解明と安全向上のための提言を行う。
原因究明への指向を強化した海難調査室の発足によって、それ以前の制度と比較して、システマチックな分析や工学的解明による調査の実現、制度改正につながる提言の発出などの成果が挙げられている。特に漁船沈没事故の調査では、そのメカニズムの解明から海難審判との比較、問題点の指摘など、具体的な成果を上げたとする評価もある。
しかし、その一方で、勧告に関する姿勢や運営の安定性に問題があるという指摘もされている。加えて、調査の透明性、委員人事、被害者支援、鑑定嘱託など、従来の問題も依然として残っているという課題も指摘されている。
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