「床が灰皿」だった昔ながらの金型屋が、キッチリ整理の工場に変わった理由:ワクワクを原動力に! ものづくりなヒト探訪記(4)(3/6 ページ)
本連載では、厳しい環境が続く中で伝統を受け継ぎつつ、新しい領域にチャレンジする中小製造業の“いま”を紹介していきます。今回はプレス金型を製造している飯ヶ谷製作所を取材しました。
「図面なし」の作業に危機感
――智さんは、製造業に携わるようになってどのくらいでしょうか?
智さん 19歳の時に家業である飯ヶ谷製作所に入社し、27年になります。最初は現場から始めました。といっても、当時は設計図なんてものはなく、先代の社長である父親が方眼紙に書いた絵を基に、自分で材料を切り出して金型を作っていくやり方でした。
――設計図を書き、金型を作るようになったのは、いつ頃からですか?
智さん 私が20代の頃に、「いつまでもこのやり方じゃまずいな」と思い、展示会でCADツールを探して導入しました。そうすると、NC工作機械が欲しくなり、見つけてきて今のやり方に近い環境を作りました。
――その時の、先代の社長であるお父様の反応が気になります。
智さん 父は「前のままでいいんだよ」と、あまり賛成はしていませんでしたね。でも、それではいけないという思いが自分の中にあったので、機械の導入は私が中心となって進めていきました。
――美雪さんは、製造業に携わるようになってどのくらいでしょうか?
美雪さん 私は25歳くらいの時に経理として携わるようになり、今から10年ほど前に現場の仕事もやるようになりました。でも若い頃は子育て中心の日々で、工場には時々お手伝いに行くくらいでした。
――10年前から現場の仕事もされているとのことですが、どんなきっかけがあったのですか?
美雪さん 私がフルタイムで現場に入るようになったのは、人手が足りなかったことが一番の理由です。元から何かを作るのが好きだったので、仕事そのものに抵抗はありませんでしたね。仕事は教えてもらえるし、やってみて「私ってこの仕事結構得意かも」と思うこともありました。
智さん いろいろな方と一緒に仕事をしてきましたが、仕事を覚えるのは早い方でしたね。男だからとか女だからとか関係ないんだなと思いました。
片付けても2日で元に戻ってしまう
――整理/工夫されている工場に感動したのですが、昔はそうではなかったそうですね?
智さん 何十年も前は当時よくあった“金型屋”のイメージで、そこらじゅうに物が落ちていて、毎回道具を探しながら仕事をしていました。
美雪さん タバコを吸いながら仕事している職人さんもいて、床が灰皿みたいでした。切子も散らばっていて、安全靴がすぐ真っ黒になるような工場でしたね。
智さん 当時働いていた、私より年上の世代の人たちはそれが当たり前だったんです。だから、私が片付けようとすると、「この道具はここ置いておきたいから触らないでくれ」と嫌がるんですよね。仕方なく自分の周りだけ整理して仕事をしていました。
――なるほど。整理整頓しようとは言い出せそうにない雰囲気ですね。
智さん 一度、整理整頓したこともあったんです。周りにもそのことを伝えて実施したんですが、片付いた状態を保つことができたのは2日が限界でした。「機械を動かしている時間が、お金を稼いでいる時間。だから片付けに割く時間はない」という考えだったと思うんですが、やっぱりそれじゃダメだよなと思っていました。
美雪さん 私は職人さんたちが製品や道具を探している光景を見ていました。そのために割く時間がとても多く、結局機械を動かしてモノづくりをしている時間が減ってしまっている状況でした。
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