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わずか0.02mmのさじ加減で顧客を満足させるねじ金型が世界を目指すイノベーションで戦う中小製造業の舞台裏(10)(2/5 ページ)

自社のコア技術やアイデアを活用したイノベーションで、事業刷新や新商品開発などの新たな活路を切り開いた中小製造業を紹介する本連載。今回は、直径2mm以下の小径穴と呼ばれるねじの金型を得意にしている金剛ダイス工業の取り組みを紹介する。

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精神的にキツかったリーマンショックと東日本大震災による需要減

 同社の創業者は、敬雄氏の祖父だ。1960年に大阪市西区に個人事業主としてスタートし、1965年に金剛ダイス製作所を設立。和歌山県で、大叔父(祖父の弟)が和歌山金剛ダイスを設立し、両社が1967年に合併して、現在の金剛ダイス工業となった。

 小径穴のねじ金型に特化したのは、創業地が大阪だったためだ。松下電器工業(パナソニック)、三洋電機、シャープなどの家電メーカーが競いあっていた時代、小径穴のねじ金型の需要は大きかった。

 創業当時は、超硬合金の加工とねじ金型の二本柱で事業を行っていたそうだ。「高度成長期だから、儲かっていたやろうなぁ〜と思います」と敬雄氏は笑う。

 しかし、バブル時代には、大手メーカーが海外に生産拠点を移し、部品も現地で調達するようになった。超硬合金の加工は、メーカーから材料を支給してもらい加工賃を得るだけだったため、工場の拠点が移されれば加工案件は減る。

 「悩む余地もなくねじ金型に絞っていくしかなかったでしょう。もし、柱が1本だったら、間違いなく会社は傾いていたと思います」と振り返る。

 父である先代社長のころから、取引先のニーズに応じ、小径穴に特化した設備投資をしてきた。敬雄氏が入社した1993年には、業務はほとんどねじ金型1本に絞られていたそうだ。

熟練の職人がねじ金型を製造する
熟練の職人がねじ金型を製造する

 「小学生のころ、祖父から聞いた言葉を今も覚えています」と敬雄氏は言う。

「モノづくり業界で、絶対になくならないのがモーターや。モーターにベアリングを固定するためにはねじがいる。だからねじの金型屋は絶対に必要なんや」

 子ども心に「そうなんや!!」と思ったのが、事業継承した敬雄氏を支えている。

 敬雄氏が代表を継いだのは、リーマンショックの2週間後だった……。一番キツかったときは、注文が前年の35%まで落ち込んだという。

 社員には「ごめん……」としか言えなかった。休業もした。ボーナスも払えなかった。基本給だけは削ったらあかんと死守した。

 金型はモノづくりの生命線だ。金型の発注先を変えるのは、先方にとっては大きな決断となる。だから、金型を納めたお客さんとは、信頼関係を築いて長い取引となるのだ。

 逆に言えば、急な新規開拓が難しい。

 だからといって何もしないではいられなかった。タウンページを見て、片っ端から飛び込み営業をした。1年間で100社ほど回ったそうだ。けれど、1社も新規は取れなかった……。

 リーマンショック後、4年ほどかけて、取引先からのオーダーがジワジワと戻ってきた。

 少しホッとした矢先に、今度は東日本大震災が起きた。再び、注文が途絶えた。「やっぱり、あれが一番こたえました」と敬雄氏。精神的にもキツかったという。

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