次の20年へ、電動アシスト自転車が迎える「第二の夜明け」:小寺信良が見た革新製品の舞台裏(5)(3/7 ページ)
1993年に世界初の電動アシスト自転車「PAS」を発売したヤマハ発動機。この電動アシスト自転車という革新製品はいかにして生まれ、約20年が経過したこれからどのような進化を遂げようとしているのか。小寺信良氏が探る。
当初はママ向けでもお年寄り向けでもなかった
―― なるほど。今は法的なレギュレーションができて、電動アシスト自転車の定義がはっきりしているわけですけど、当時は法的にも存在しない乗り物だったわけですよね。そもそもヤマハ発動機って、普通の自転車を作ってたんでしたっけ?
鹿嶋 作ってないですね。ただ子ども向けのクッションバイク、「MOTO-BIKE」という商品名で、長いサドルの前後にサスペンションが付いてるオフロードルックの自転車はありました。レジャー用自転車みたいな、バイクを意識したもので、バイクショップでしか取り扱っていませんでした。本格的に自転車市場に参入したのは、電動アシスト自転車からですね。
―― 今僕の知るところでは、未就学児がいるようなママさんにはものすごい普及率なんですけど、当時からそこを狙ってたわけですか?
鹿嶋 当時そういう発想は、ほぼないですね。かといってお年寄りを狙ったわけでもなく、比較的若い人に向けて、自転車の上をいく乗り物としてアピールしていました。「PAS」という商品名で展開していくわけですが、当時のCMキャラクターは、20数年前の江角マキコさん。女性におしゃれに乗ってもらうみたいな感じをイメージしていたんですね。
―― ただ実際には、そこじゃなかったと。
鹿嶋 結果的に最初にどういうお客さまが買ってくれたかというと、お年寄りばかりだったんですね。最初の狙いとしては、自転車の弱点を補う新しい乗り物ということであって、体力が弱ってきたから乗るというアプローチはしていないはずなんです。
―― ただどんなユーザーが買うかは、かなりデザインに依るところが大きいですよね?
鹿嶋 女性を意識していたので、最初から自転車を跨ぎやすいように、フレームを下げて設計していたわけです。その乗りやすさがフィットしたと。その後は現実に合わせて想定ユーザーの世代を上げて、浅田美代子さんを起用してCM展開するようになりました。
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