次の20年へ、電動アシスト自転車が迎える「第二の夜明け」:小寺信良が見た革新製品の舞台裏(5)(2/7 ページ)
1993年に世界初の電動アシスト自転車「PAS」を発売したヤマハ発動機。この電動アシスト自転車という革新製品はいかにして生まれ、約20年が経過したこれからどのような進化を遂げようとしているのか。小寺信良氏が探る。
20年前の「狙い」
―― 電動アシスト自転車って、今から20年以上前にヤマハ発動機が開発し、世界で初めて商品化したんですよね。それ以前は「原動機付き自転車」があり、普及もしていました。その中で、普通の自転車をモーターで助けるというニーズって、どこかにあったんでしょうか。
鹿嶋泰広氏(以下、鹿嶋) もともとはモーターで自転車をアシストするという発想はなくて。1990年代は地球環境問題とか燃料事情とか、もっと身近なところでは駐車場の問題とかがあった、そういう時代なんですね。これらの要素をテーマに、何か新しいパーソナルモビリティをということで、いろんな試作をやっていたそうです。
―― あ、最初は「自転車枠」というのにこだわってたわけじゃなかったんですか。
鹿嶋 はい、試作1号は超小型エンジンと二輪車を組み合わせた形。原付は50ccなんですけど、25ccとか30ccとかを組み合わせて試作をしながら、「新しい乗り物のカタチ」を手探りで模索していたと。手探りというのは、正式なプロジェクトとして社内で認められた形ではなくて、定時以降のいわゆる「5時からプロジェクト」みたいな、有志が集ってやる活動がしばらくあって。
そこで分かったのは、人がペダルを踏んで生み出した力をそのまま「エンジン」に反映して、乗り物としていい形にするのはなかなか難しいと。そもそも環境問題からスタートしてるのに燃料を使って動かすのもどうか、といった議論もあります。
じゃあモーターを使えば、自転車に乗れる人だったら誰でも自転車以上の乗り心地や快適性を享受するものができるんじゃないかということで、エンジン付きの乗り物から、モーター付きの乗り物にシフトしました。
それをベースに幾つかのセクションを作って、ようやく「電動アシスト自転車」というものに定まってきたんです。免許不要で誰でも、ということにこだわると、法的に自転車として認められないと意味がない。だからモノづくりと一緒に、法律の壁に関してもロビー活動を展開して理解を求めていたというのが、初期段階の動きだと聞いています。
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