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三菱自が25年間も正規に走行抵抗値を測らなかった理由は「準備不足」かエコカー技術(2/2 ページ)

三菱自動車は、長期間にわたり複数の車種で走行抵抗値を正規の手法で測定していなかった件について、国土交通省に対して追加報告を行った。正規に走行抵抗値を測定したのは「ミラージュ」と「デリカ D:5」のディーゼルエンジン車のみだった。正規の手法を導入できなかった準備不足や、「乖離は少ない」という判断が背景にある。

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なぜ日本向けだけ? 惰行法に戻す機会はなかったのか?

 社内で走行抵抗値の測定を担当していた性能実験部の認証グループでは、仕向け地によって担当が決められており「地域ごとに担当の長い人が固定化する部分があった」(中尾氏)。

 また、米国自動車技術会が定めた北米市場向けの測定試験「コーストダウン法」は十勝のテストコースで行われており、性能実験部とは異なる車両実験部という部署が測定を担当していたという。「コーストダウン法は、時速80マイル(=時速約128km)から惰行する必要があり、直線路が3kmある十勝でしかできない。岡崎のテストコースでは難しい」(同氏)。

 部署が違えば、法令を順守して走行抵抗値を測定することができていたということになる。惰行法による走行抵抗値の測定が始まったのは1991年で「正規の惰行法に戻す機会は複数あった。高速惰行法を使い続けた理由はヒアリング調査でも明確にはなっていない。現時点で推測できるのは、2001年に正規の惰行法と高速惰行法を比較した結果、走行抵抗値の乖離が最大2.3%だったのを根拠にしていたのではないかということだ」(三菱自動車 社長兼COOの相川哲郎氏)。

 要因としては1991年当時、惰行法に移行する準備を怠った点もあるという。「1991年に発売した『ギャラン』は16類別あった。審査車両ができてから1〜2カ月で走行抵抗値を測定する必要があったが、時間が足りなかった。時間を短縮できる手法として高速惰行法を選んでいた可能性もある」(同氏)。

「開発部門出身者の私がトップに残ると、日産が進める改革の妨げになる」

相川氏(写真左)は退任するが、益子氏は留任する
相川氏は退任するが、益子氏は留任する

 同社社長の相川氏と副社長の中尾氏は、2016年6月24日の株主総会での承認を経て辞任する。辞任を決めた理由は2つあるという。

 「1つは不正が開発部門で起きていたこと。私もその部門に長く在籍していた。不正車種開発期間に部門責任者を務めていたことの責任を取るべきだと判断した。また、開発部門の抜本改革のために身を引く。新しい開発トップは日産自動車から来る。私が残ることは改革の妨げになる。日産自動車が改革を進める上で、上位に三菱開発出身者が居てはいけない」(相川氏)と述べた。

 相川氏は、日産自動車が三菱自動車に出資することを発表した会見の日に、辞任を決意した。「日産自動車との資本提携で、三菱自動車の未来に向けた道筋ができたと思った。開発部門の改革には外の血が必要だ。日産自動車から開発トップを担う人材が来れば安心して後を任せられる」と説明した。

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