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倒産寸前の大ピンチからV字回復、ICT活用で復活した紳士服メーカーの戦略イノベーションで戦う中小製造業の舞台裏(6)(2/6 ページ)

自社のコア技術やアイデアを活用したイノベーションで、事業刷新や新商品開発などの新たな活路を切り開いた中小製造業を紹介する本連載。第6回となる今回は大阪市谷町にある紳士服メーカーのNFLを紹介する。

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最盛期には140社が軒を並べた「紳士服の町」

 かつての谷町は「紳士服の町」だった。明治政府が「これからは着物ではなく洋服の時代。軍服が必要となる」と、船場で生地を扱い、緑橋や森ノ宮で作り、谷町で売るという具合に「繊維の町、紳士服の町」の基盤を作った。

 それが昭和まで連綿と続き、大阪を南北に貫く谷町筋には、老舗の大手メンズスーツメーカーがひしめき、最盛期には約140社の紳士服店が軒を並べたという。

 川辺社長の祖父である川辺友一氏は、丁稚奉公で学んだ生地の知識をもとに40歳で独立起業した。1952年のことだ。友一氏は、商材を黒生地に絞った。黒なら流行がなく、在庫が残っても売ることができる。ターゲットを絞り他社との差別化を図ったのだ。

※商店などに幼少のころから奉公すること

 1965年には、紳士礼服製造卸のエルマンを設立し、生地屋からアパレルへと業種を広げた。礼服やダブルフォーマル、冠婚葬祭用のスーツなどを扱う同社は、高度成長期の波にのり、業界No.2のシェアを誇った。

 しかし1990年代になると、アパレル業界に紳士服量販店が誕生し、チェーン店展開で低価格帯スーツの販売を始めた。安価な中国産の紳士服が大量に流入し、紳士服の価格破壊が起きた。このビジネスモデルが、消費者の支持を集めて急成長を遂げた。

 その影響で紳士服メーカーは大打撃を受けた。総合スーパーのマイカルが倒産した2001年前後は特に厳しく、谷町にある多くの紳士アパレルメーカーが連鎖倒産や廃業を余儀なくされた。今では、谷町に存続する紳士服メーカーは数社になっている。

 川辺社長が家業を継いだのは、そんな時だったのだ。

※大阪市に本社を置き全国各地に総合スーパーなどを展開していた総合小売業者。2011年3月1日にイオンリテールが吸収合併した。


大阪市谷町にあるNFLの縫製工場「Tanimaci NUBO」。谷町に残る数少ない縫製工場の1つだ

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