「バブル」に沸いた自動運転は「サスティナブル」になれるのか:自動運転技術(2/3 ページ)
自動運転元年ともいうべきさまざまなことが世界各地で起こった2015年。自動運転「バブル」と言ってもいいほどの過熱ぶりだが、今の動きは話して「サスティナブル(持続可能)」なものになっているのだろうか。
「自動運転」と「無人運転」の違い
そこで気になることがある。「自動運転」と「無人運転」の違いだ。多くのメディアがこれら2つをゴチャ混ぜに報道している。
自動と無人、両者の大きな違いは「オーバーライドするか、しないか」である。オーバーライドとは、手動運転から自動運転、または自動運転から手動運転への切り替えを指す。
ADASの延長線上で自動運転を考えている自動車メーカーの場合「オーバーライドはしたくない」というのが本音だ。そう考える大きな理由の1つが、自動運転中に寝てしまったドライバーを、手動運転に「オーバーライド」させる時の「技術的なリスク」と「法的リスク」だ。
技術的なリスクとは、ウェアラブル端末や車内モニターなどによってドライバーの体調を「どこまで正確に把握する必要があるのか」という課題に対して、「どこで仕切り線を引くのか」という判断の難しさだ。
そこには当然、PL(製造者責任)法という「法的リスク」が立ちはだかる。自動車メーカーの多くは現状、「オーバーライドは可能だ」と説明する。各社内、または産学官連携による基礎研究や実験が行われており、「定量化したデータ」を基に「オーバーライドは可能だ」というのだが、本音では「実社会で、本当に運用できるのか」という不安を抱いている業界関係者は数多い。
こうした「何かと面倒な自動運転」ではなく、「オーバーライドしない自動運転」として「無人運転」の実業化を目指しているのが、グーグルやロボットタクシーである。無人運転派にとってオーバーライドは「緊急時の対応」なのである。無人運転とは、「誰も乗っていない」のではなく「ドライバーレス(ドライバーがいない)」を指すのだ。
こうした「自動運転の基本」について、メディアを含めてもう一度認識する必要があるだろう。
協調領域と競争領域
2015年が「自動運転元年」と感じるのは、「自動運転の実用化」の議論が急激に進んだからだ。
国内では、経済産業省と国土交通省が2015年6月24日、「自動走行ビジネス協議会」に関する中間とりまとめを発表した。この協議会は「いきなり呼ばれて、何が始まるのかと困惑した」(自動車メーカー関係者)という声が聞こえてくるように「いきなり」行われた。
日本政府における自動運転といえば、内閣府によるSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)の中での協議が中核だという認識が強い。内閣府が調整役となり、国土交通省、経済産業省、総務省、警察庁の関係省庁が共同歩調を取り、そこに自動車メーカー各社が同期するという「オールジャパン」体制が売り物である。
換言すれば、船頭さんが多く、「議論するための議論」に陥りやすい。具体的な目標を2020年としているものの、2020年開催の東京オリンピック・パリンピックを意識し過ぎることで、2020年以降の「サスティナブル(継続可能)」な自動運転に対する議論がまとまりにくくなる可能性がある。
そうしたSIPの実態を察知した経済産業省と国土交通省は、「ビジネス」という「現実社会」を直視するための名目により、国内自動車メーカーによる自動運転の未来について「再考する場」を設けたのだと思う。
ここでは、「協調領域と競争領域」に対する「交通整理」が行われる。インフラなどの協調領域について自動車メーカーは「争いを避けて、一丸となることが日本の強みとなる」という解釈だ。
だが「現実のビジネス」においては、本来「協調領域」と思われていたところで競争が始まっている。
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