“みんなここにいる”の強さ――長野発「ソニーのVAIO」が尖り続ける理由とは:小寺信良が見たモノづくりの現場(5)(1/5 ページ)
ソニーは2010年にPC「VAIO」の事業本部を長野の製造拠点に統合する決断を行った。“都落ち”にもかかわらず輝き続けるVAIOの秘密はどこにあるのか。小寺信良が長野県安曇野市にある、ソニー長野ビジネスセンターを訪ねた。
筆者はIT系ライターとしてPCのトレンドなども取材しているが、2010年にソニーVAIOの事業本部を長野の製造拠点に統合するという話には、かなり驚いたものだ。
当時はネットブックの隆盛に陰りが見え始め、変わってiPadやAndroidタブレットが登場してきた時期で、PCメーカーは製品の差別化に苦しんでいた。そのさなかに、事業本部が東京から離れるということは、少なからずVAIOシリーズの規模縮小を示唆しているのではないかという不安を持ったものである。
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しかし実際には全くそんなことはなく、順調にVAIOシリーズは新しいチャレンジを続けている。2012年にはタブレットスタイルからPCスタイルに変形する「VAIO Duo 11」を投入し、2013年6月末には後継モデル「VAIO Duo 13」(PC USER記事:「VAIO Duo 13」徹底検証)を発売するなど、今までにないPCを続々と投入し始めている。
現在では国内外を問わず、ハードウェアの製造はほぼ中国か東南アジア地域で行うというのが主流だ。もはや安く製造するためのセオリーと言ってもいい。その流れに逆行する形で、ソニーでは日本でのPC生産を行っている。長野へのVAIO事業本部移転によって、一体何が起こっているのか。今回は長野県安曇野市にある、ソニー長野ビジネスセンターを訪ねた。
設計と製造を一体化
統合により長野ビジネスセンターは、結果的に2つの会社が同居することとなった。いわゆる製造工場としてのソニーイーエムシーエス 長野テクノロジーサイトと、2010年にソニー本社から移ってきたVAIO&Mobile事業本部だ。サイトの門の両脇にはそれぞれ、2つの社名が掲げられている。
同センターの製造拠点としての歴史は長い。創業は1961年で、東洋通信工業の豊科工場としてのスタートであった。1974年にソニーの100%出資子会社として、長野東洋通信工業となり、以降ソニーの製造拠点としての歴史が始まる。
当時はオーディオ製品の製造を行っていたが、1982年にマイクロコンピュータの製造を開始。翌1983年にはMSX PCの製造を開始した。以降、オーディオ製品の製造も行いつつ、ワークステーションの「NEWSシリーズ」やPalm Top PC、エンタテイメントロボット「AIBO」の生産など、次第にソニーのIT製品製造拠点としての性格を強めてきた。もちろんソニーのオリジナルPCである「VAIOシリーズ」も、初代の「VAIO NOTE 505」からここで製造している。PC製造拠点としては、実に由緒正しき場所なのである。
ここに、それまで東京本社内にあったVAIOの事業本部が移ってきた。VAIOの設計に関わる技術者も家族連れで、あるいは単身で長野に引っ越してきたわけである。グローバルの販売状況や経営情報も、全てここに集められ、VAIOに関連する全てがここでコントロールされることになる。東京本社は、VAIO事業からみればサテライトオフィスということだ。
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