日本版FITは着陸できるか? シャープのエネルギー事業戦略で見る新エネルギー産業のこれから:小寺信良のEnergy Future(17)(2/3 ページ)
大きく動く日本のエネルギー政策。FIT発動を目前に、発電事業に乗り出すシャープの動向は太陽電池メーカーの将来を照らすか。
オールジャパンで進んだ日本の太陽光発電推進アプリケーション開発
技術はなんでもそうだが、アプリケーションがある分野、あるいはそれが必要とされる地域で発達する。1954年に生まれた太陽電池は、宇宙開発用として1980年代まで、米国がリードした。
しかし、1990年代から2000年ぐらいまでのおよそ10年間は、生産技術でも設置量でも日本が世界をリードした。これは日本政府が、「住宅用」というアプリケーションを作ったからである。
日本にとって、太陽電池研究の大きな節目は、1973年に訪れる。第四次中東戦争に起因する石油価格上昇、すなわち第一次オイルショックである。石油は当てにならない、なんとかエネルギーを自給する方法を模索するしかないとして、当時の通産省が「サンシャイン計画」と銘打って、新エネルギー研究開発のための長期計画を立てた。さまざまな方法で電気エネルギーを得ようとする研究が、官主導で始まったのである。
当時太陽電池といえば、単結晶だけだった。シャープは1976年に同社初の太陽電池付き電卓を商品化しているが、この時に搭載されたものも単結晶である。
しかし、それ以外の方式も研究が開始された。アモルファスシリコン太陽電池は、1976年に米RCAが発明したが、次第に日本の研究の方が盛んになっていった。この時に主導したのが、のちに三洋電機の社長を務めることになる桑野幸徳氏である。
一方、多結晶シリコン太陽電池は、1984〜1985年に出てきた比較的新しい技術だ。多結晶シリコンによる太陽電池を現在のように成長させたのは、京セラである。多結晶シリコンは、ごく簡単にいうと鋳造型にシリコンを流し込んで自然に冷えるのを待つだけという、量産に向いた方式だ。単結晶シリコン太陽電池よりも変換効率は落ちるものの、太陽電池としては安く早く製造できる。
「売電」という発想で先駆けた日本
シャープは、現在は多結晶シリコン太陽電池も生産しているが、これに着手したのは1990年代に入ってからのことである。ここにもう1つの節目がある。1994年だ。
この年の12月に日本で初めての、国全体の基本方針となる「新エネルギー導入大綱」が可決される。このときに初めて、「系統連携」という概念が生まれた。つまり太陽光発電などの新エネルギーを、電力会社が敷設した電力線に接続してよいということになったのだ。それ以前はあくまでも電気は電力会社から一方的に送られるのみだったのだが、この系統連携により、電力線は両通行となった。逆潮流といういい方も聞かれるが、これはこれで電力会社がいかに独占的に電力の流れを支配してきたかが分かる。
この新エネルギー導入大綱を基に、「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」「電力会社への新エネルギーの購入義務付け」などが次々に決まっていった。それまでは世界のどこにも、「売電」という発想はなかったが、この点では日本が先駆けといえるだろう。
また同年、一般住宅に対して太陽光発電システムを設置する際の、公的補助金制度が導入された。それまでは宇宙開発、官公庁向け独立電源というアプリケーションしかなかったものが、新たに家庭向けアプリケーションを政府が設定したのである。
アプリケーションがあるところで技術が発達する。日本はここから2000年ごろまで太陽光発電、新エネルギー活用の分野で世界をリードすることになる。だが2005年ごろになると、主役はドイツへと移行する。
強烈過ぎたドイツのFIT
ドイツは1990年ごろから政策として戦略的にエネルギーシフトに取り組んできた。風力や豊富な森林資源を使ったバイオマス発熱・発電など、多くの方法を計画的に取り入れ、経済的には成長しながら、消費エネルギーを減らしていくという、エネルギー効率の改善を行ってきた。
さらに売電による普及促進のカンフル剤として導入したのが、FIT(Feed In Tariff)、固定価格買い取り制度である。再生可能エネルギーから発電した電気は、通常の電気料金よりも2〜3倍高めの価格で長期にわたって買い取りを行う制度である。ドイツの場合は20年間の買い取りを保証している。
買い取り価格は、再生可能エネルギー装置がコストダウンしていくため、毎年見直されており、現在は毎年5%程度ずつ下がり続けているそうだが、先に発電を始めた者に対しては契約時の買い取り価格のままで固定となる。このため太陽光発電システムの導入にも採算の見通しが立てやすく、また早く参入した方が得、ということになる。
各国に広がったFITが市場を狂わせた
これがきっかけとなり、ドイツでは太陽光発電システムが急速に普及した。EU各国でも2001年に再生可能エネルギー促進を目的としたEU指令が採択されたことを受け、独自に政令などで再生可能エネルギー促進に向けて動いていた。ドイツでの成功を受けて、スペインでは2007年に買い取り価格が市場価格の10倍近くになる極端なFITを導入した。これにより2008年には、スペインは一躍世界最多の太陽光発電導入国に躍り出た。
そもそもドイツでは1990年から2030年に至る長期計画の一環としてのFITの制度設計をしていた。一方、スペインのそれは、たいした準備もなく、しかも買い取り年数を25年間保証するという、ドイツ水準を大幅に上回る無理な設定であった。
結果として、スペインのFITは、買い取りを行う電力会社が莫大な赤字を抱え、買い取りの支払いも滞る事態となった。結局、2009年には政府による買い取り価格の引き下げなどの改正を行わざるを得なかった。
スペインだけに限らず、2007〜2008年にかけてEUで起こった太陽光発電導入の一大ブームは、世界中の太陽電池製造メーカーの常識を狂わせた。作った端から売れていく状態となり、質が悪くても飛ぶように売れたのだ。
一時期中国では太陽電池製造メーカーが大小合わせて500社余りも乱立し、世界の需要に対して生産能力が2倍もあるような状況となったが、バブルが弾けて以来、その数は200余りにまで淘汰されたという。現在もその時に作った在庫がダブ付いており、太陽電池パネルの価格は異常な安値となっている。
これで旧来の太陽電池製造メーカーは、別の道を歩まざるを得なくなった。
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