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学生フォーミュラのこと、もっと知ってください第7回 全日本学生フォーミュラ大会 事前レポート(1/2 ページ)

自動車の設計製作技術を競う、学生のためのモノづくりコンペティション 全日本学生フォーミュラ大会。今年は2009年9月9〜12日の4日間、静岡県袋井市内の小笠山総合運動公園(通称「エコパ」)にて行われる。今回は、運営者の大会にかける切なる想いと熱意をお届けする。(

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 これまでのMONOist編集部では、全日本学生フォーミュラ大会に参加する学生を中心に取材してきた。取材を通じて、参加する学生ばかりでなく、彼らを支える主催団体の自動車技術会や協賛する企業たちの熱い思いもひしひしと伝わってきた。今回は、フォーミュラ実行委員会で広報を担当する本田技研工業の中村 博氏にお話をお伺いし、運営側の“顔”をのぞいてみた。

 自動車メーカーに就職したフォーミュラチームのOBたちの話によれば、学生フォーミュラを経験していないほかの新入社員と自分とを比べると、モチベーションの高さ、業務習得の早さにかなりの差が出るのだという。

     ――第6回 全日本 学生フォーミュラ大会 レポート(2)「速いだけじゃダメ! 商品性も安定性も譲れない」より

 大会を観覧したり、学生たちに話を聞いたりしていくと、同大会はこれからの製造業を支える若手人材育成のためのスペシャルプログラムであるということが分かる。

 しかしその一方で、ロボコンや鳥人間コンテストなどと比べると知名度が劣る。もっと注目されてもいいはずなのに、どうしてなのだろう……。そんな疑問もぶつけてみた。


学生フォーミュラの誕生

 同大会の原点は、1998年から、大学数校を集めて試験的に行われたデザインコンペ「車両開発プロジェクト」。都立航空高専、上智大学、国士舘大学、日本大学、神奈川工科大学の5校が当時のメンバーだった。その5校の合同チームは、アメリカの学生フォーミュラ大会にもチャレンジした。

 後の2000年に自動車技術会がF-SAE運営委員会を発足。日本における学生フォーミュラ大会の実施可能性の検討を開始し、2001年にはトライアルイベントを1度開催した。

 ついに2003年には、富士スピードウェイにて第1回大会を開催する運びとなった。「当時は富士スピードウェイがリニューアル前で、賃料が安かったんですよね」(中村氏)。そのときの参加校数は17校だった。第2回は会場をツインリンクもてぎ(栃木県芳賀郡茂木町)へ移し、さらに第3回は小笠山総合運動公園(通称「エコパ」、静岡県袋井市)へと移し、現在に至る。今年の第7回大会の参加校数は66校。7年かけて、第1回の4倍弱まで増えた。

 同大会の発足のきっかけを語るにあたり、それ以前から行われきた海外のフォーミュラ大会についても触れておく必要があるだろう。

世界の学生フォーミュラ大会


本大会の広報を担当する本田技研工業の中村 博氏

 学生によるフォーミュラ大会は、日本で始まる以前に、世界各国で行われていた。最初に始めたのは、アメリカだという。「当時のビッグ3が、日本メーカーが急速に伸びてきたことに対し危機感を覚えたのがきっかけで、これからのアメリカの自動車産業を支える技術者を積極的に育成しようと1981年に『Formula SAE』が始められました」(中村氏)

 アメリカの開催拠点は、現在では3カ所(ミシガン、カルフォルニア、バージニア)で、合計で200校以上が参加している。かつてはミシガン州のデトロイトのみでの開催だったが、参加校数が増えたため、だんだん拠点を増やしていったのだという。

 「アメリカでは学生フォーミュラが大人気で、Web上のエントリーが始まると、3時間ぐらいで締め切ってしまいます。最近は、もっと早いかな……」(中村氏)。

 アメリカより10数年ほど遅れ、イギリスの学生フォーミュラ大会「Formula Student」が始まった。中村氏の在籍する本田技研工業(以下「ホンダ」)は、日本のフォーミュラ大会が始まる前、イギリスのリード(LEEDS)大学から支援要請を受け、エンジンを支給してきた。ホンダが支援をしていくうちに、大会を観戦する機会も増え、支援に携わる社員たちは学生フォーミュラ大会への興味を深めていった。やがて「これは日本でもやるべきだ!」と社内が湧き立った。その後のホンダは、自動車技術会で始まった「車両開発プロジェクト」に対し、試走用のコース提供や部品供給という形で支援した。現在も学生フォーミュラ大会に協賛し、運営協力している。


オーストラリアの事情

 「オーストラリアの学生フォーミュラ大会も、大変活気があります。レベルも非常に高い」(中村氏)。国内の自動車メーカーは育っておらず、その生産台数は頭打ち状態であり、逆に輸入車は増加傾向だという。自動車業界を志望する学生たちは、グローバル企業に就職したいと積極的に考えるという。オーストラリアの学生たちは、アメリカのF-SAEで上位に上り詰めるほどのレベルだという。オーストラリアの大会も、アメリカとほぼ同じレギュレーションで行われる。ここで磨かれた技術は、アメリカでも通用するというわけだ。

この活動を広めるために

 学生フォーミュラは、レースなのか、コンペなのか――それは、関係者の中で、意見が分かれるところだという。「モータースポーツであることを強調し過ぎてしまうと、「速く走れればいい」と勘違いする学生が出てくると考えています。速く走ることも大事ですが、それ以上に車両作りの過程が肝心ですから、モノづくりのコンペティッションだということをこれまで強調してきました」と中村氏はいう。

 ただ中村氏自身は、今後はモータースポーツとしての要素も決して軽視できないという。まだ知らない人たちに興味を持ってもらうためにも有効であるし、運営面でもモータースポーツの関係者のバックアップが不可欠だと考えているとのことだ。

 「本当に、とてもいいプログラムですから、もっと多くの人に知ってもらいたいのです。企業や学校の理解を深めて、この活動の輪を広げていきたい」(中村氏)。

 参加学生や関係者だけの輪だけで完結してしまうのは、非常にもったいない。参加人口が増えれば、モノづくりの総合力を磨く訓練を受けた若者がたくさん製造業に送り込まれることになり、業界のレベルが上がり、活性化する。中村氏は、特に中高生に大会の観戦に来てもらい、大会に興味を持ってもらいたい、あわよくば将来参加してもらいたいという。

 運営側や参加者の思惑とは裏腹に、世間での知名度は高くない。その原因としてどのようなことが考えられるのだろうか。

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