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トヨタが織機から自動車へ事業転換を進めた10年間の意義:トヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(14)(2/3 ページ)
トヨタ自動車がクルマづくりにどのような変革をもたらしてきたかを創業期からたどる本連載。第14回は、トヨタが織機事業から自動車事業への転換を進めた1925年(大正14年)〜1934年(昭和9年)の10年間について、日本の経済や政治の状況と併せて概観する。
(3)主要産業(織機および製綿工業)の概況
ここでは日本の主要産業として、製綿工業および織機の概況について見ておく。
製綿工業および織機の概況
製綿工業は、この時期の日本の最重要輸出産業であり、経済変動と国際競争の鍵を握っていた。ここで、構造的優位性の確立、国際市場での躍進、紡績の状況などについて見ると以下のようになる。
- 構造的優位性の確立
- 円安の進行(1931年の金解禁停止後)により、日本製綿製品の国際競争力が飛躍的に向上した
- 人件費が安く、かつ技術革新(豊田式自動織機など)が進んだことで、品質を維持しつつコストを大幅に引き下げることができた
- 国際市場での躍進
- 昭和恐慌からの回復期に、日本は英国(マンチェスター)を抜いて世界一の綿布輸出国となった
- 特にアジアやアフリカ市場で英国製品からシェアを奪い、貿易摩擦を引き起こした
- 紡績
- 大規模な紡績会社による寡占化が進み、合理化投資により生産効率が向上した。
織機を含む機械工業の概況
織機を含む機械工業は、製綿工業の活況に支えられ発展した。ここでは、自動織機技術の進化、軍需景気の影響について見ておく。
- 自動織機技術の進化
- 豊田佐吉が発明した自動織機は、熟練した女性工員を必要とせず、不良品の発生も防ぐ画期的な技術であり、国際的にも極めて高い評価を受けた
- この国産技術の普及が、日本の製綿工業の国際競争力を決定的に高めた
- 軍需景気の影響
- 1931年の満州事変以降、機械工業は軍需生産からも大きな需要を受け、設備投資と技術開発が加速し、産業の基盤強化が進んだ
1934年(昭和9年)ごろは、石川島、ダット、東京瓦斯電気工業などによる標準型トラック/バスの試作が進み、1934年に日産自動車、1937年にトヨタ自動車工業が設立されるなど、自動車国産化体制が整い始める前夜に当たる。
つまり、この1925年(大正14年)〜1934年(昭和9年)の10年間は、日本経済にとって、外資系自動車の大量進出と、それに対抗する国産工業育成の模索が並行した時期であり、後の「自動車立国」への基盤が静かに築かれていった時期だったといえる。
こうして日本は、金融危機と大恐慌を経験しつつも、円安と輸出主導(特に製綿工業の躍進)によって経済回復を達成したが、その裏で政党政治は崩壊した。そして、参謀本部と軍部の独走、これによる対外侵略と膨張の道へと進むことになる。
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