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トヨタ史で記念すべき1年となった1925年、「自働化」の完成と「電動化」の始まりトヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(12)(1/3 ページ)

トヨタ自動車がクルマづくりにどのような変革をもたらしてきたかを創業期からたどる本連載。第12回は、1925年(大正14年)の日本の経済、政治の状況と合わせて豊田佐吉と喜一郎の歩みを見ていく。この1925年は、トヨタ史において「自働化」が完成し「電動化」が始まった記念すべき1年となった。

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1.はじめに

 連載第4回から、トヨタ自動車の創業以前に時代を巻き戻し、自動力織機の発明によってトヨタ自動車創業に向けた礎を作り上げた豊田佐吉が活躍した時代の政治状況や織機技術の変遷、世界のクルマの発展などを紹介している。

 前回の連載第11回で取り上げた1922年(大正11年)〜1924年(大正13年)から、豊田佐吉とともに長男の豊田喜一郎(敬称略)の歩みを紹介している。今回は引き続き、1925年(大正14年)の日本の経済、政治の状況と併せて、豊田佐吉と喜一郎の歩みを見ていきたい。

⇒連載「トヨタ自動車におけるクルマづくりの変革」バックナンバー

2.1925年の日本の経済、政治の状況と佐吉と喜一郎の特許出願状況

図1
図1 1925年(大正14年)の日本の経済成長率の推移[クリックで拡大]

 1925年(大正14年)、治安維持法制定。普通選挙法制定。日ソ基本条約締結。日本政府がソビエト連邦を国家承認。日本初のラジオ放送。6月、米国のクライスラーが設立※1)図2に、1924年製クライスラー・シックス70を示す。前回紹介した白楊社の豊川順弥が製造した「オートモ号」2台が上海に輸出され、日本車初の輸出車となる。1台は消防の伝令車として使われた(「オートモ号」は約300台製造された)。

図2
図2 1924年製クライスラー・シックス70[クリックで拡大] 出所:Wikipediaより、John Gamez、CC BY 2.0、ウィキメディア・コモンズ経由で

※1)クライスラー(Chrysler)は、以前GMに在籍し、自身の名前を冠した車を製造することを目指したウォルター・クライスラーが、1925年6月6日に米国ミシガン州オーバーンヒルズに設立した自動車会社。1924年発表の、6気筒エンジン70HP搭載、油圧四輪ブレーキを装備したクライスラー・シックス70(1565米ドル)を製造販売する会社として、当時のマックスウェルとチャーマーズの両社を統合して発足した。クライスラー・シックス70は、馬力があってスタイルが良いこともあって人気が高まり、販売開始後の12カ月間で3万2千台も売れた。1924年の開発時点における米国自動車業界での32番目の地位から、1926年には第5位に上がるほど急上昇し、1927年には販売台数20万台を記録した。これでGM、フォード、ハドソンに次ぐ業界第4位となった。明らかに、フォードの安い大衆車から高級車に庶民の嗜好の変化がうかがえる。1928年、ダッジ・ブラザーズを吸収合併し、規模を拡大。また、油圧ブレーキやパワーステアリングなどの革新的な技術をいち早く市販車に導入し、「技術のクライスラー」としての地位を確立した。

 この1925年、日置工場における自動織機の製作が順調に進むようになると、豊田佐吉や利三郎らは本格的な製作/販売に向けた準備を進めた。

 まず、工場用地を刈谷にある豊田紡績の織機試験工場の近くに求め、その買収を土地の有力者である大野一造に依頼した。最終的には、織機試験工場に隣接する豊田紡績の社宅用地を新工場用地に充てることが決定された。

 続いて建物や設備の検討が始まり、特に製品の品質や原価に大きな影響を及ぼす鋳物設備については格別の考慮が払われた。日置工場の鋳物設備を完成させ、佐吉の信任が厚かった久保田長太郎が、再びその計画を担当することとなった。また、自動織機の需要見通しについては、第一次世界大戦後の恐慌や不況下における紡織業界の動向、合理化運動の推移、工場法改正による深夜残業廃止の影響などを踏まえ、豊田利三郎を中心に慎重な調査が進められた。

 表1に、1925年(大正14年)に豊田佐吉と喜一郎が出願した特許を示す。

特許番号 発明者 出願年月日 登録年月日 特許の名称(連載第7回の図2の番号)
65821 豊田佐吉 1925年(大正14年)2月26日 1925年(大正14年)9月17日 17.杼換式自動織機の杼押桿作動装置
65950 豊田喜一郎 1925年(大正14年)3月2日 1925年(大正14年)9月28日 10.自動織機の予備杼溜
67157 豊田喜一郎 1925年(大正14年)2月24日 1926年(大正15年)1月21日 織機に於ける杼の緩衝装置
67540 豊田佐吉 1925年(大正14年)5月12日 1926年(大正15年)2月24日 織機に於ける自働換杼装置の改良
67628 豊田佐吉 1925年(大正14年)3月30日 1926年(大正15年)2月26日 15.投杼桿受装置
68045 豊田喜一郎 1925年(大正14年)7月11日 1926年(大正15年)4月13日 織機に於ける保護装置
68970 豊田佐吉 1925年(大正14年)7月22日 1926年(大正15年)7月21日 1.自動織機の杼換装置
69591 豊田佐吉 1925年(大正14年)9月16日 1926年(大正15年)9月30日 1.自動織機の杼換装置
73318 豊田佐吉 1925年(大正14年)3月14日 1926年(大正15年)9月8日 6.経糸切断に因る停止装置
表1 1925年(大正14年)に豊田佐吉と喜一郎が出願した特許

 豊田喜一郎は1925年3月、表1に示すように人為的なミスを防止するための自動織機の予備杼溜(ひだめ)の特許を出願する(特許第65950号)。これは、杼を収める杼溜(杼を格納する容器)に新しい杼を作業者が補給する際、正しい姿勢で杼を挿入しないと、杼溜に入らない仕組みである。人為的なミスによる織機の破損を事前に防止する工夫で、いわゆる「ポカヨケ(間違い防止)」※2)の起源といえる装置だ。

※2)ポカヨケ“Poka-Yoke”(mistake proofing)とは、人間が必ず起こす「うっかりミス(ポカ)」を、仕組みによって未然に防ぐための方法/装置の総称。トヨタ生産方式(TPS)は「ジャストインタイム(JIT)」と「自働化(jidoka)」の2本柱で構成されるが、そのうち、豊田佐吉が生み出した「自働化」を、さらに実現するための最も重要な仕組みで、ポカヨケは豊田喜一郎が創出した。佐吉が生み出した自働化とは「異常が起きたら機械や工程が自動で止まること」「異常を人に知らせ、問題を源流で止めること」を意味する。喜一郎が創出したポカヨケは、まさにこの思想を具体化し、「ミスが起きない」「起きても流れない」工程を作る技術で、世界でも広く通用している。人間の注意力や熟練度に依存せず、工程そのものを「間違えようがない構造」にすることが本質。

 表1に提示した3つの特許(65950号、68970号、69591号)は、いずれも1924年に開発された「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」※3)の心臓部である「自動杼換(ひかえ)装置」に関連する重要な技術群で、これら3つの特許の役割と関係性を整理すると表2のようになる。「予備パーツの保管(65950号)」と「実際の交換メカニズム(68970号、69591号)」という補完し合う関係にあり、これらはバラバラの技術ではなく、1つのシステムとして機能する。

特許番号 発明者 役割の要約 システム上の位置付け
65950 豊田喜一郎 予備杼溜(マガジン) 新しいよこ糸が入った「杼(シャトル)」を縦に並べて待機させておく「ストック棚」の技術
68970 豊田佐吉 杼換装置(その1) 糸が切れたり無くなったりした際、古い杼を排出して新しい杼を自動で送り込む「交換アーム」の基本構造
69591 豊田佐吉 杼換装置(その2) 上記68970の改良、または交換時の衝撃を和らげ、より確実に作動させるための「高精度化」に関わる技術
表2 自動杼換装置に関わる3つの特許の役割と関係性

※3)無停止杼換式豊田自動織機(G型)は、豊田佐吉が機織り機の開発を始めてから34年後の1924年(大正13年)に、特許50件以上が盛り込まれて完成した世界最高性能、魔法の織機と言われた自動織機である。具体的には、高速運転中にスピードを落とすことなく杼を交換してよこ糸を自動的に補給する自働杼換装置をはじめ、杼換誘導、よこ糸切断自働停止、たて糸切断自働停止のほか、各種の自働化、保護、安全および衛生などの機構、装置が装着され、生産性や織物品質で世界一の性能を発揮した。杼換は杼替とも記述されるが、本稿では杼換に統一表記する。当時、世界の繊維機械業界をリードしていた英国のプラットの技術者が、「マジックルーム(魔法の織機)」と呼んで感嘆したという

 表2における佐吉と喜一郎の役割と関係性は以下の3点にまとめられる。

(1)父と息子の共同作業

 特許65950号は息子の喜一郎、後の2つの68970号と69591号は父の佐吉によるものである。佐吉が提唱した「無停止自動杼換」という大きなコンセプトに対し、喜一郎がその具体的な供給ユニット(マガジン部分)を設計するなど、親子で無停止杼換式豊田自動織機(G型)を完成へと導いたプロセスが見て取れる。

(2)「止まらない織機」の実現

 それまでの織機は、シャトルの糸がなくなると機械を止めて人間が交換していたが、これら3つの特許が組み合わさることで以下の流れが可能になった。

  • 特許65950号(喜一郎):予備のシャトルを次々に準備しておく
  • 特許68970号、69591号(佐吉):機械が高速運転したまま、一瞬でシャトルを入れ替える

 これにより作業効率が劇的に向上し、1人で数十台の織機を管理できるようになった。

(3)特許68970号と69591号の違い

 自動織機は「いかに高速かつ機械を壊さずにスムーズに交換するか」が最大の難関であった。これらの特許は同じ「杼換装置」という名称だが、一連の改良プロセスであり、特許68970号で基本原理を確立し、特許69591号でその作動の確実性や耐久性を高めるための詳細な機構を追加したものと考えられる。

 これら3つの特許は、「次に出番が来る部品(杼)をためておき(特許65950号)、それを適切なタイミングで、正確かつ高速に本体へ送り込む(特許68970号、69591号)」という、自動化システムの「供給と交換」をセットで定義している関係にある。この技術が後の英国プラットへの10万ポンドでの技術供与につながり、その資金がトヨタ自動車の創業資金となったことを考えると、非常に歴史的な価値が高い特許の組み合わせといえる。

 ここまで述べてきたように、豊田佐吉は大きく変化する時代の中で自動織機の継続研究を重ねた。その結果として、1924年に念願の無停止杼換式豊田自動織機(G型)の1号機を完成させ、1925年に出願した特許を取得することになる。

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