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ギガキャストの基礎的な鋳造法「ダイカスト」とは何かいまさら聞けないギガキャスト入門(2)(1/6 ページ)

自動車の車体を一体成形する技術である「ギガキャスト」ついて解説する本連載。第2回は、ギガキャストの基礎的な鋳造法である「ダイカスト」について詳し見ていく。

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1.はじめに

 本連載「いまさら聞けないギガキャスト入門」の第1回(前回)では、なぜギガキャストが騒がれるのか、その理由について解説した。

 今回は、ギガキャストの基礎的な鋳造法である「ダイカスト」について見ていこう。

1.ダイカストの歴史

 ギガキャストの歴史はまだ浅い。第1回で述べたように、2010年代、テスラ CEOのイーロン・マスク氏が、EV(電気自動車)である「モデル3」のアンダーボディーの複雑な造り方を問題視し、「おもちゃのクルマのようにもっと簡素に造れないか」と考えて、大きなダイカストマシンで成形することを思い付いた。この方法を実現するために、イタリアのイドラが、型締め力6000tfというダイカストマシン(ギガプレス)を開発、製造してテスラに提供した。テスラが、このギガキャスト技術を活用して「モデルY」のリアアンダーボディー、フロントアンダーボディーをギガプレスにより製造し、モデル3で171点もあった部品点数をわずか2点に減らすことに成功したところから始まる。

 ギガキャストの基礎技術であるダイカストの歴史も、後述する「奈良の大仏」の製造など古代より行われてきた砂型(鋳型)鋳造法に比べれば比較的新しい。砂型鋳造では、鋳込んだ製品を取り出すのにいちいち砂型をバラバラに壊さなければならないので、非常に手間がかかり、非効率的であった。しかしその後、型を壊さなくとも製品を大量に生産する型として金型(Die、ダイ)が考案され、可動側と固定側の金型のキャビティ(製品形状をした空間)に溶解した金属を圧力をかけて注入する方法、すなわちダイカストが誕生する。もともとは、従来の鋳造法での製造が難しい、活版印刷の活字のような精密で複雑な製品を作るのに用いられた。

 1830年代に米国のエリシャ・ルート※1)が、サミュエル・コリンズ※2)の下で印刷業界向けの活字生産を目的としてダイカストを開発した。1838年に、デヴィッド・ブルース※3)がダイカストで活字を製品化し、1905年(明治38年)には米国のハーマン・H・ドーラーがダイカストの商業生産を開始した。

※1)エリシャ・キング・ルート(Elisha King Root、1808〜1865年)は、米国マサチューセッツ州で生まれた機械工、発明家。拳銃のコルト製造会社の社長。ルートは、綿糸工場でボビンボーイとして働いた後、15歳でマサチューセッツ州ウェアの機械工場に転職。24歳の時、コネチカット州の実業家サミュエル・W・コリンズに雇われ、同州カントンのコリンズビルにあるコリンズのおの工場で働いた。1849年、サミュエル・コルトはルートをハートフォードの銃器工場の監督として雇った。ルートはこの役割を大成功させ、多くの優秀な従業員を育成した。ルートはコルトで働いていた時にリンカーン・ミラー・フライス盤を完成させた。このフライス盤は19世紀後半に15万台販売され、当時のアメリカで最も重要な工作機械となった。彼は最先端のドロップハンマー、ボーリングマシン、ゲージ、治具などを設計して、コルトの銃器生産を近代化した。コルトモデル 1855コルト ルート リボルバーは、ルートに敬意を表して命名され、米国の南北戦争中に使用された。

※2)サミュエル・ワトキンソン・コリンズ(Samuel Watkinson Collins、1802〜1870年)は、米国コネチカット州ミドルタウンで生まれた実業家。コネチカット州カントンのコリンズ・アックス・カンパニーの創設者。コリンズは1826年におのを製造する会社を設立。1835年までに、コリンズは1ダース20ドルで年間25万本のおのを販売。

※3)デヴィッド・ブルース(David Bruce、1802〜1892年)は、米国ニューヨークで生まれた実業家。1838年、印刷業界に革命をもたらしたピボタルタイプキャスターを発明し、その後1845年に特許を取得。

 日本におけるダイカストの歴史は以下のようになっている。

  • 1910年(明治43年)ごろ:ダイカストの研究が大学の金属研究室を中心に行われる
  • 1917年(大正6年):最初のダイカスト合資会社が大崎(東京市)に設立
  • 1922年(大正11年):国産ダイカストマシンの製造
  • 1935年(昭和10年):軍需産業でダイカスト製品の研究が進展
  • 1940年(昭和15年):ダイカスト製造各社に対し統制令発令、効率化のため100余社から25社に統合。戦後には、自動車業界などを中心にダイカストによる部品製造が高度に発展する
  • 1947年(昭和22年):戦後の民生品製造でいち早く復興。日本橋白木屋でダイカスト展示会開催
  • 1949年(昭和24年):二眼レフカメラボディーのダイカスト化
  • 1952年(昭和27年):油圧電気制御ダイカストマシン初導入。同年JIS(日本工業規格)でダイカストに関する規格が制定
  • 1953年(昭和28年):日本において高純度亜鉛開発成功。同年、JIS H5301で亜鉛合金ダイカストの規格を制定
  • 1958年(昭和33年):JIS H5302でアルミニウム合金ダイカストの規格を制定
  • 1961年(昭和36年):亜鉛合金ダイカスト品質証明制度開始
  • 1972年(昭和47年):JIS B6612でダイカストマシンの規格を制定
  • 1976年(昭和51年):JIS H5303でマグネシウム合金のダイカストの規格を制定。
  • 1984年(昭和59年):日本のダイカスト年間生産量が50万トンを突破
  • 1988年(昭和63年):コンピュータ数値制御(CNC)マシンの導入が本格化
  • 2002年(平成14年):日本のダイカスト年間生産量が80万トンを突破
  • 2006年(平成18年):日本のダイカスト年間生産量が100万トンを突破

2.加工方法や鋳造法の分類から見たダイカスト

 ギガキャストは、アルミニウム合金などの金属材料を高温にして一度溶かし、溶融した液体を型の隙間(製品形状)に流し込んで冷やして、型の複製を作る加工方法である。この加工方法は鋳造法としてダイカストに分類される。

 表1に加工方法の大分類、中分類、小分類を示す。

表1
表1 加工方法の分類(大分類、中分類、小分類)[クリックで拡大] 出所:武藤一夫「図解よくわかる機械加工」

 表1において、鋳造法の大分類は変形加工(成形加工)に該当する。中分類では、素材が固体以外(非固体)、すなわち液体状の素形材、金属であれば溶融点以上の高温、つまり溶解状態にした素形材に分けられる。さらに小分類では、実際の製造に使われる種々の加工方法の一つとして、鋳造(砂型、金型、ダイカスト、精密、遠心、低圧)に分類される。同じ小分類の加工法には、焼結、射出成形(プラスチック、金属)、縮成形、ラピッドプロトタイプ(3Dプリンタ)などがある。

 先述したように、鋳造法は砂型、金型、ダイカスト、精密、遠心、低圧に分類される。この鋳造法における型は、一般的に鋳型と呼ばれる。

 その鋳型について、さらに詳しく見ると、使用する型の素材(材質)によって、図1に示すように分類される。砂型の材料は砂であり、金型の材料は金属である。自硬性型の材料はセメントや石こうなど。加熱性型(精密鋳造)の材料はろうのように解けるもので、特殊鋳型の材料は文字通り特殊な材料を使う。金型の一つに分類されるダイカストの材料は金属である。ダイカスト(Die cast)のDieは金型を意味する。ちなみに鋳造の遠心と低圧の材料はいずれも金属である。

図1
図1 鋳型の分類[クリックで拡大] 出所:武藤一夫、高松英次「これだけは知っておきたい金型設計・加工技術」【参考/引用文献3】

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