工芸産地が旅の目的地となる日――日本工芸産地協会が万博出展にかけた思い:ワクワクを原動力に! ものづくりなヒト探訪記(25)(3/3 ページ)
本連載では、新しい領域にチャレンジする中小製造業の“いま”を紹介していきます。今回は、大阪・関西万博内で開催された「日本工芸産地博覧会2025」を手掛けた、日本工芸産地協会 理事/事務局長の原岡知宏さんに、企画の背景やそこに込めた思いを伺いました。
「最高の展示」に向けた役割分担
ものづくり新聞 原岡さん、それはとても良いお話ですね。せっかくですから、もう少し分かりやすく伝えていけるとよいですね。
原岡さん 実は、日本工芸産地協会で専任として動いている職員は、私1人だけなんです。Webサイトの運営も、Instagramでの情報発信も、全て自分で行っています。これらの業務を1人で担っているため、どうしてもリソースが足りなくなってしまうんです。
そのため、一番の課題は何かと聞かれれば、工芸産地協会の人員をもっと増やすことだと思います。
ものづくり新聞 過去実施した2回のプレイベントでは、どのようにして人員を確保されたのですか?
原岡さん 第1回目と第2回目の際には、日本工芸産地協会の会員企業や理事企業に対して、「必ず1人は人員を出してください」とお願いし、15人ほどのチームを編成しました。広報も各社の皆さんに担当していただき、制作にも全面的に関わっていただきました。
当時はコロナ禍、あるいはコロナの影響が少し落ち着いた時期でもあったため、比較的皆さんに時間的な余裕があり、人員を出していただくことができたのだと思います。
ものづくり新聞 今回も同じように人員を出していただくことはできなかったのですか?
原岡さん 今回は、主催者と出展社それぞれの機能と役割を見直しました。万博では読売新聞さんとご一緒できるということもあり、最高の内容をこの場で表現していただくために、「外部とのやりとりはこちらで全て対応しますので、各ブースの中で何を行うかに集中していただき、最高のものをご用意ください」とお伝えしました。
その約束をしていただけるのであれば、運営側の業務には関わらなくても構わない、という取り決めにしました。
ものづくり新聞 役割を明確に切り分けられたのですね。それが運営にとっても良い結果につながったのではないでしょうか。
原岡さん はい。その結果、今回の博覧会はこれまでで最も素晴らしい空間になったのではないかと思います。展示品の数々は、まさに工芸の「どや」ばかりでした。「これぞ私たちの自慢の品だ、どうだ!」という思いを込めた作品を持ってきてくださいとお願いしたところ、皆さんが本当に素晴らしいものを用意してくださいました。
特に、1枚の銅板を金鎚でたたいて銅器を製造する「鎚起銅器」という伝統技術を受け継ぎながら、新潟県燕市で金属加工業を営む玉川堂さんが手掛けた展示は、想像を超える内容だったと感じています。1つのイベントのために、あれほどの作品を制作されていたことに驚きましたし、そのために、どれだけの時間と労力が費やされたのだろうかと考えさせられました。
この先ずっと語り継がれる「万博に出展した」という事実
ものづくり新聞 今回は、かなりの費用がかかっているのではないかと思いますし、出展された皆さんが強い覚悟を持って臨まれたのだと感じます。
原岡さん はい。参加費もそうですが、万博ということもあり、宿泊費も高額でした。例えば、東北から来る場合、1人当たり1万〜2万円では済みませんでしたし、スタッフも5〜6人は必要でした。さらに、職人の方も3〜4人は同行していただく必要がありました。
私が「朝9時から夜9時まで実施します」と決めたため、せっかく万博に来ても、終日このイベントに関わることになり、万博そのものを見られないという状況になってしまいました。それでも、皆さんは覚悟を持って参加してくださいました。だからこそ、私も最高の場所を用意しなければならないと感じましたし、皆さんも最高のものを作ろうと考えてくださったのだと思います。
「万博に出展した」という事実は、100年先まで語り継ぐことができる貴重な経験です。そう考えると、参加費は決して高いものではなかったと感じます。これほどの機会は、他にはありません。
その象徴ともいえるのが、玉川堂さんです。玉川堂さんのブースでは、100年前の万博に出展した際の賞状が展示され、それをPRにも活用されていました。

玉川堂が1926年の「フィラデルフィア万博」でグランプリを受賞したときの賞状。1873年の「ウィーン万博」から9回も国外の万博に出展してきた記録も残っているという[クリックで拡大] 出所:ものづくり新聞
今回、初めて万博に出展した企業の中で、玉川堂さんのような会社が1社でも残っていれば、また100年後の万博へとつながっていくかもしれません。万博での出来事は、100年先まで語り継がれていくんです。100年後、さすがに私はもうこの世にいないでしょうが、私たちのそんな思いがずっとつながっていくことを願っています。
あとがき
私は2日間、伊藤編集長とともにイベントを取材しました。開催期間の3日間で約4万人が来場し、多くの方が万博のついでに立ち寄ったようですが、「普段、日本の伝統工芸に関心のない方にも見てもらえたのがよかった」という参加企業の声が印象に残りました。
「手が語る、時を超える、旅へ」という冊子は、原岡さんが20の産地を取材しまとめたもので、会場では買い物をした来場者に配布されました。原岡さんは、「この冊子を産地のお店に持っていくと、水戸黄門の印籠のように感謝され、ノベルティや特別メニューを提供したい」と話していました。
AI(人工知能)の時代だからこそ、手仕事の価値が見直されつつあります。各店舗の様子は、別の記事で詳しくご紹介します。(ものづくり新聞 小柴寿美子)
著者紹介
ものづくり新聞
Webサイト:https://makingthingsnews.com/
note:https://note.com/monojirei
「あらゆる人がものづくりを通して好奇心と喜びでワクワクし続ける社会の実現」をビジョンに活動するウェブメディアです。
2025年現在、180本以上のインタビュー記事を公開。伝統工芸、地場産業の取り組み、町工場の製品開発ストーリー、産業観光イベント、ものづくりと日本の歴史コラムといった独自の切り口で、ものづくりに関わる人と取り組みを発信しています。
編集長
伊藤宗寿
製造業向けコンサルティング(DX改革、IT化、PLM/PDM導入支援、経営支援)のかたわら、日本と世界の製造業を盛り上げるためにものづくり新聞を立ち上げた。クラフトビール好き。
記者
中野涼奈
新卒で金型メーカーに入社し、金属部品の磨き工程と測定工程を担当。2020年からものづくり新聞記者として活動。
木戸一幸
フリーライターとして25年活動し、150冊以上の書籍に携わる。2022年よりものづくり新聞の記事校正を担当。専門はゲーム文化/サブカルチャーであるが、かつては劇団の脚本を担当するなど、ジャンルにとらわれない書き手を目指している。
小柴寿美子
ナレーター。企業PV・Web-CMなど2000本以上。元NHKキャスター・リポーターとして番組制作をしていた経験を生かし、2024年9月からものづくり新聞へ参入。粘り強い取材力が強み。
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