本連載では、新しい領域にチャレンジする中小製造業の“いま”を紹介していきます。第20回では器械製糸工場の碓氷製糸で、常務取締役の土屋真志氏に話を聞きました。
本連載はパブリカが運営するWebメディア「ものづくり新聞」に掲載された記事を、一部編集した上で転載するものです。
ものづくり新聞は全国の中小製造業で働く人に注目し、その魅力を発信する記事を制作しています。本連載では、中小製造業の“いま”を紹介していきます。
「富岡製糸場」がユネスコの世界文化遺産に登録されてから10年(2024年現在)。そんな中、富岡製糸場に展示されている自動繰糸機(じどうそうしき)と同型の機械が現役で稼働し、国産生糸の約7割を生産しているという製糸工場があります。群馬県安中市松井田町にある碓氷製糸(うすいせいし)です。
東京から新幹線で高崎へ。そこからJR信越本線に乗り換えて西松井田駅まで約1時間半。緑豊かな農村地域を10分ほど歩くと、妙義山の麓に日本最大の器械製糸工場を持つ「碓氷製糸」が見えてきました。器械製糸工場とは、輸出用の生糸を作れる大型の製糸工場のこと。農林水産省の調べでは、国内の製糸工場は、昭和34年(1959年)のピーク時に1871カ所の工場が稼働していたそうです。しかし今では、器械製糸工場は碓氷製糸を含め、もう2社しか残っていません。
とんがった山が妙義山。赤い屋根全体が碓氷製糸です。左側にある青い建物は繭倉庫。この日は青空が広がり、10月に入ったばかりなのに汗ばむほどの陽気でした。今回は同社 常務取締役の土屋真志(つちや まさし)さんにお話を伺いました。
――日本には器械製糸工場が2社しかないと伺って驚きました!
土屋さん 輸出用の生糸を作れるような大型の器械製糸工場は、群馬の碓氷製糸と山形にある松岡の2か所だけです。
他には、国内用という意味の国用(こくよう)製糸工場という小さい工場が3か所、また、長野県の岡谷蚕糸博物館内に併設されている宮坂製糸所、それから愛媛県の西予市野村町にある西与市野村シルク博物館に併設されている製糸所が残っています。つまり、いわゆる製糸工場は日本に7か所だけ存在しているんですね。
――養蚕農家はどのぐらい残っているんですか?
土屋さん 令和5年の調査だと、養蚕農家は群馬県で55戸。全国では146戸だそうです。一番多いとき(1901年)で、群馬は8万7000戸ぐらいあったんですけどね。
――繭の生産量はどのぐらいあるんですか?
土屋さん 碓氷製糸は、45トンの国産繭のうち30トンの繭を買っているんですよ。ちょうど3分の2、国内で生産されている繭のおよそ7割を使って、生糸を作っています。群馬の場合、昭和40年代は2万7000トンの繭がありました。それが、私が群馬県庁に入庁した昭和60年になると1万3000トンになり、「繭が半分になって大変だ」って言っていたんです。その頃、先輩が「碓氷製糸が年間操業するには、最低でも繭30トンが必要だ。そのうちそういう日が来るかもしれないな」と話していたことは、今でも頭に残っているんですけど、2023年に買った繭が30トンなんですよ。
――結構ギリギリですね。
土屋さん 状況を考えれば数年後になくなっても不思議じゃないですよ。それに、国内で流通するシルク製品のうち、繭から作られた純国産品の割合は0.16%程度なんです。
――1%もないんですか?
土屋さん はい、1%を切っています。この話をすると、皆さん驚かれます。食品みたいに群馬県産とか書けるといいですけど、「絹100%」だけじゃ分からないしね。
うんともうけなくてもいいし、昔みたいにいっぱい作ってもらわなくてもいいんです。国産品がなくならない程度の量、今ぐらいの量の繭(年間30トン)を何とか維持できれば、私は残せると思っているんですよね。
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