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世界初の無停止杼換式自動織機を構成する豊田佐吉の3つの発明トヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(7)(2/5 ページ)

トヨタ自動車がクルマづくりにどのような変革をもたらしてきたかを創業期からたどる本連載。第7回は、豊田佐吉による世界初の無停止杼換式自動織機を構成する3つの発明を中心に、1900年(明治33年)〜1904年(明治9年)における日本の政治経済の状況や世界のクルマの発展を見ていく。

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4.アンクル式経糸送出装置の発明

 1900年(明治33年)連載第6回でも述べたが、大阪紡績(渋沢栄一が創設、現在の東洋紡の前身)がノースロップ自動織機を輸入/購入している。ただし、実際の運用としては、自動機部分が取り外されて普通織機として長く運転されていた。そして、1923年(大正12年)になってようやく自動織機への復元に着手し、1929年(昭和4年)頃までに東洋紡の全台の自動化を達成したようである。これは、当時の海外製管替式自動織機が、当時の日本ではいかに取り扱いに苦労する織機だったかを示す事項といえる。

 図4は1888年当時の大阪紡積の第3工場である。※2)

図4
図4 1888年の大阪紡積第3工場[クリックで拡大] 出所:プラットのカタログの写真、現代日本産業発達史 XI 繊維 上

※2)図4の写真はプラットのカタログにあったもの。1888年に建設されたれんが造り4階建ての工場で、ここに384錘建リング精紡機72台と540錘建くず糸ミュール精紡機2台から成る第2次増設紡績機械が設置された。手前側にある建物が第3工場で、煙突の下にれんが造り3階建ての第2工場が写っている。のこぎり屋根の第1工場は写っていない。

 豊田佐吉は1900年、環状織機「環状単流原動機」の開発を決意した。表2に示したように、6年後の1906年(明治39年)4月28日に特許出願し、翌年の1907年(明治40年)5月28日)に環状織機の特許第12169号を取得した。なお、環状織機については次回以降で取り上げる予定である。

 さらに、豊田佐吉は、連載第6回で述べたように、時代に先駆けた発明として、1896年に「豊田式汽力織機」を発明した。この織機は使用者の採算を重視して、安価にできる木鉄混製にした。

 また、連載第6回で述べたように、豊田佐吉は発明品を世に出すに当たり、事前に徹底的な営業的試験を行い、機械の品質はもとより織物工場での採算性の確認まで行った。そうした背景には、「発明は製作を完全にし、十分な営業的試験をしなければ世に出してはいけない」という強い開発の信念があった。

 1903年(明治36年)に、特許第3173号で自動杼替装置を主とした織機(3.緯糸切断自動停止装置(フォーク)、5.経糸送出装置、6.経糸切断自動停止装置、8.経糸保護装置)を発明した。これらのように創造的なものが真価を発揮するには製造工程の技術こそが重要である。だからこそ佐吉はこれらは自ら製作すべきと考えており、「製造工程の技術を重視」、すなわち「モノづくりの重要性」を語っている。このことについても本連載で取り上げていく予定だ。

 1901年(明治34年)は、4月29日に迪宮裕仁親王(昭和天皇)誕生。足尾銅山鉱毒事件。官営八幡製鐵所が建設され、日本の軍需産業の基礎となる鉄鋼の国産化がなされた。日本製鋼所、釜石製鉄所など民間の製鉄所の設立が相次ぎ、重工業の基礎となる鉄鋼の国内生産が本格化した。

 豊田佐吉は同年、特許第5241号の織機(5.経糸送出装置)に当たる「アンクル(歯止め)式経糸送出装置」を発明した。※3)

※3)アンクル(アンカーとも、フランス語ではancre、日本語ではいかり)は本来、時計の歯車の回転速度を一定に保つため、テンプとがんぎ車を連動させる部品、装置である。檎縦機(きんしょうき)とも呼ぶ。

 この経糸送出装置は、織られた製布の量に応じて一定の張力で経糸を送り出す装置である。特許第3173号を構成する3つの発明の1つであるが、最初の特許は重鍾を利用した「重鍾式経糸送出装置」であった。特許第5241号はその改良型で、アンクル(歯止め)という部品を利用したものである。

 このアンクル式経糸送出装置は、特許第5241号では、張力変動による経糸切れや織りムラなどの不具合を防止するために、製織中の経糸張力を適正に保持するフィードバック(帰還)機能が装備された。豊田佐吉は、経糸の張力を一定に保つことの必要性に早くから着目して種々の機構を発明しており、この装置はその一つである。

 フィードバックを採用した経糸送出装置は、1929年当時の世界の紡織機トップメーカーである英国のプラットに無停止杼換式豊田自動織機(G型)の技術を供与した際に、自動抒換装置とともに同機の特徴として英国の業界紙で紹介されるなどユニークなものであった。

 図5は、1901年(明治34年)に発明されたアンクル式経糸送出装置の概要である。経糸の張力でストッパーの役目を果たす部品であるアンクルを外し、経糸を送り出す。要になるのはアンクルだ。

図5
図5 1901年発明のアンクル式経糸送出装置の概要[クリックで拡大] 出所:トヨタ産業技術館資料を加筆、修正

 図5(a)にトヨタ産業技術記念館で展示されているアンクル式経糸送出装置の模型の全景を、図5(b)に同装置内にあるセレクタレバーの位置を示す。

 アンクル式経糸送出装置は、テンションローラーの変位をフィードバックし、アンクルを作動させ、経糸の張力を一定に保ちながら、経糸を送り出す消極的送出方式である。つまり、ヤーンビーム(経糸用糸巻)※4)の回転をアンクル歯車で規制するとともに、セレクタレバーで探知した経糸張力をフィードバックして、適正量の経糸が布を巻き取る力で送り出される消極的方式※5)である。

※4)ヤーンビーム(Yarn Beam)とは、主に織機や編み機の機械部品の一部で、糸を巻き取るためのビーム。糸ワーピング機と呼ばれる機械を用いて、ローラーとビームの間の摩擦によって糸を巻き取る。この部品は、糸を均一に供給することを目的としており、織物やニットなどの製造過程で重要な役割を果たす。ヤーンビームは、通常、紡績や織機で使用されるさまざまなタイプの繊維糸を保持する。ちなみに、「yarn」は古英語の「garn」から派生し、繊維をまとめたものを意味する。「beam」は古英語の「beama」から来ており、長い物体を指す言葉。よって、ヤーンビームは「糸を巻いた長い物体」という意味になる。

※5)日本工業規格JIS L 0306 : 1998 製織機械用語における消極送出装置(negative let-off motion)とは、ピックごとに経糸を送り出す装置のこと。経糸の消費分の長さだけ、経糸張力によって調整されて送り出される。逆に、積極送出装置(positive let-off motion)とは、ピックごとにあらかじめ決められた長さの経糸を送り出す装置。

 織られた布が巻き取られるにつれて、経糸の張力は徐々に高まり、張力に応じて変位するセレクタレバーがあらかじめ設定したところに達すると、アンクルが外れて歯車が1歯ずつ回転し、張力が緩められて常に一定の範囲に保たれる。ビームの回転がアンクルで規制されるため、筬(おさ)打ちの衝撃力による経糸の繰り出しが防止され、織物品質が向上した。筬打ち時の糸の繰り出しを防止することで、厚地も楽に製織できるようになった。

 図5(d)に示すように、織られた布が巻き取られるに従って、(2)テンションローラーが下降し、(4)セレクタレバー、(5)カム※5)レバーが上昇し、設定位置に達すると、(6)アンクル解除カムが(5)カムレバーを押し下げ、(1)ヤーンビームによって回転を制御している(7)アンクルが外れて、所要の経糸が送り出される。経糸張力は(4)セレクタレバーに固定した(3)重錘により付与されているため、(2)テンションローラーの位置の上下に関わらずほぼ一定となる。

※5)カム(cam)とは、卵型のような輪郭を持つ板状の機械要素で、回転軸に取り付けられ、運動の上下左右方向や運動変位量を変える。具体的には、水平運動を上下運動に、回転運動を往復運動に、複雑な動きを滑らかにするなどのために同じ運動を繰り返し行い、高速運動にも耐える。ここでは、日本工業規格JIS L 0306:1998製織機械用語では、枠の上昇および下降運動を積極的に制御する積極カムでは共役カムまたは溝カムがある。消極的に制御する消極カムでは板カム(cam disk)がある。

 表1を見ると、「経糸送出装置」は、次に1907年に改良されて特許第11094号となり、そして次回以降紹介する1914年に「ウォーム歯車式経糸送出装置」(特許第27006号)に改良/進展する。

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