自ら考え不正を防ぐ 品質問題を起こしにくい組織を作るには:品質不正を防ぐ組織風土改革(3)(2/2 ページ)
繰り返される製造業の品質不正問題。解決の鍵は個人ではなく、「組織風土」の見直しにあります。本連載では品質不正を防ぐために、組織風土を変革することの重要性と具体的な施策をお伝えしていきます。
心理的安全性が低い組織は品質不正が起きやすい
心理的安全性(psychological safety)とは、「組織のなかで自分の考えを言う際に不安を感じず、安心して発言できる状態」のことを言います。組織行動学の研究者であるハーバード大学 教授のエイミー・C・エドモンドソン氏が提唱した概念です。エドモンドソン氏は、著書『恐れのない組織』(2021年、英治出版)のなかで下記のような事例を交えながら、心理的安全性が低い組織のリスクを強調しています。
コロンビア号の事例
2003年2月1日、NASAのスペースシャトル・コロンビア号が空中分解し、7人の宇宙飛行士が命を落としました。この事故の検証では、エンジニアが事前にビデオ映像を見て異変を感じていながら、上司に強く確認を求めていなかったことが分かりました。後にそのエンジニアは、「序列がはるかに上の人間にものをいうなど、エンジニアには不可能だ」と述べています。
フォルクスワーゲンの事例
2015年、フォルクスワーゲンでディーゼル車の排出ガス量を偽る「ディーゼルゲート事件」が発覚しました。同社には、厳しい目標を設定し、達成できなければ解雇するという恐怖で従業員をマネジメントする文化があったとされています。このような組織風土が、ディーゼルゲート事件を引き起こす要因になったといわれています。
コロンビア号やフォルクスワーゲンの事例のように、日本の品質不正でも、心理的安全性の欠如が招いたと考えられるものが少なくありません。品質不正が起きる組織に共通しているのは、異論/反論を唱えにくい組織風土が根付いていることです。従業員が「おかしい」と思ったことを口にできなかったり、議論を避けたりしている組織では、リスクが放置されて品質不正を招きやすいことは想像に難くないでしょう。検知したリスクを全てテーブルの上にあげ、従業員みんなで考えられる組織をつくるためには、心理的安全性の醸成が不可欠です。
品質不正の防止に直結する「理念浸透」
米国でコンサルティング会社を経営し、ニューヨーク大学で倫理体系の諮問委員会に所属するロン・カルッチ氏の研究では、「組織としてのアイデンティティーが明確でない、あるいは従業員の日々の業務に即していない企業では、そうでない企業と比較して、従業員が隠蔽(いんぺい)や改ざん、不正を働く傾向が約3倍高くなる」ことが示されています。
※出典:ロン・カルッチ,『誠実な組織 信頼と推進力で満ちた場のつくり方』(2023),p47
組織としてのアイデンティティーとは「自分たちは何者で、どのような価値観を持っているのか」ということであり、まさに理念によって示されるものです。理念が浸透していない組織では、従業員が価値観を理解しておらず、迷ったときに羅針盤になるような判断基準が存在しません。そのため、リスクに対して適切な対応ができなくなってしまいます。実際に、大切にすべき価値観より、個人や組織の利益を優先する判断によってリスクを拡大し、品質不正を招いてしまう企業が後を絶ちません。
ジョンソン・エンド・ジョンソンの事例
理念が浸透していたために、経営危機を乗り越えられた企業の事例をご紹介します。
ジョンソン・エンド・ジョンソンには、「我が信条(Our Credo)」という理念があります。3代目の社長によって起草されて以来、同社の企業理念/倫理規定として世界中の従業員に受け継がれています。文言は割愛しますが、「顧客/患者さん」「社員」「地域社会」「株主」という4つのステークホルダーに対して「全社員が担う4つの責任」が定められています。
1982年、同社が製造する解熱鎮痛剤「タイレノール」を服用した複数人が死亡する事件が起きました。通称「タイレノール事件」です。店頭で毒物が故意に混入されたと推定されていますが、現在でも犯人は分かっていません。
当時のCEO、ジェームズ・バーク氏は、第三者による犯行なのか、生産過程で生じた問題なのかはっきりしていない段階で、すぐにタイレノールの回収を決定。同時に、巨額の広告費をかけてTVや新聞を通じて消費者に大々的な注意喚起を行ったり、専用フリーダイヤルを設置したりなど、自社の利益より顧客の命を最優先する対応を進めました。加えて、異物を混入できないように新たなパッケージを開発しました。
また、営業担当の社員がアメリカ全土で医師などの関係者に対する説明を実施し、その数は100万回を超えていたといわれています。このような一連の対応によって同社は信頼を取り戻し、事件から1年弱という短期間で売り上げを事件前の水準にまで回復させました。
タイレノール事件への対応について、バーク氏は「Our Credoの一番目には顧客への責任とある。私たちはこの責任を果たしたまでだ」と言いました。理念が深く浸透していたからこそ、判断に迷うことなく的確な対応ができた事例だといえるでしょう。
おわりに
品質不正を防ぐためには「考える組織」をつくることが重要であり、そのためには、心理的安全性を高め、理念の浸透を図ることが不可欠です。次回は、考える組織の条件の一つである心理的安全性を高めるポイントや施策例などについて解説していきます。
リンクソシュール
取締役
松田佳子
2009年、新卒でリンクアンドモチベーション入社。採用や育成、組織風土のコンサルティングに従事した後、従業員エンゲージメント向上サービス「モチベーションクラウド」の立ち上げに参画。以降は組織風土改革に特化した事業部の責任者を務める。2024年、リンクイベントプロデュース 代表取締役社長に就任。2025年、リンクコーポレイトコミュニケーションズとの経営統合により現職。戦略設計から社内コミュニケーション施策の企画/制作まで、総合的なサービスを展開。顧客の組織風土変革やビジョン実現を支援している。
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