産業用ネットワークの始まり〜1980年代に登場したGM主導のMAP〜:産業用ネットワークのオープン化の歴史(1)(1/2 ページ)
本連載では、産業用ネットワークのオープン化にまつわる歴史について紹介します。今回は、製造現場にコンピュータが導入され始めた1980年代に登場したMAPを中心に説明します。
はじめに
工場の中で人手をできるだけ使わず、機械が作業を行う、いわゆるオートメーションによるモノづくりが始まったのは1920年代であると聞いています。オートメーションは日本語では「自動運転」となり「機械化」ということにもなります。
いつ頃から製造現場の機械にコンピュータが実装され、そしてコンピュータの能力を活用して、どのようにオートメーションが進んだかは、それだけで1つの話題となりますが、本連載ではオートメーションに使われる工場内の機器同士がデジタル通信を介してつながる、つまり産業用ネットワークの歴史について話を進めたいと思います。
今回は、製造現場にコンピュータが導入され始めた1980年代に米国のGeneral Motors(GM)が主導したMAP(Manufacturing Automation Protocol)を中心に説明します。
産業用ネットワークのオープン化の背景
現在の工場では、NC工作機械やロボット、制御用コンピュータなど、複数のインテリジェントを持った機器が稼働して、生産活動を行っています。
1980年代は、製造現場にようやくコンピュータが導入され始めた頃でした。そのうちコンピュータを搭載している複数の機器が工場で稼働するケースも出てきます。これらの機器を通信でつなげて、データ等をやりとりできれば、より効率よい運転ができるだろうとは誰もが考えることです。
しかし多くの場合、コンピュータ間の通信はそれほど単純ではないため、いざ通信をしようと考えるとそれぞれのコンピュータの通信仕様に合わせた、手作りの通信プログラムを作る必要がありました。
コンピュータ間の通信で初めてオープンの概念を持ち込んだのはISO(International Standards Organization)がOSI参照モデル(Open System Interconnection Basic Reference Model)を、1983年に国際規格(ISO7498)として制定したときといえるでしょう。
OSI参照モデルの特色は、ネットワークの標準化にプロトコルを一意的に決定することではなく、通信に必要とされる機能を7階層に分け、体系的なモデルとして提示した点でした。
ですから、OSIのモデルに準拠しているといっても、それは実際の相互接続性を保証するものではありません。ただ、通信のやり方を考える前提を提示しただけです。
OSI参照モデルをベースとしたオープンな通信の概念を工場のデジタル通信として、最初に実用化させようとしたトライアルが、米国の自動車メーカーであるGMが1980年に提唱したMAPでした。
当時のGMの資料※1によると「GMでは2万台のPLC、2800台以上のロボットが設置され、インテリジェントを持つデバイスの総計は4万台を超えている。ところが、GMの製造工程の中で15%しか、自分以外の工程との通信でのやりとりができず、たくさんのオートメーションの孤島(islands of automation)ができてしまっている」という状況でした。
GMはこの状況を改善し、インテリジェントを持つ(コンピュータを搭載している)デバイス同士を簡単に通信できるようにしたいと考えました。
※1 本資料は米国ネバダ州ラスベガスで開催されたNational Computer Conference 1984にMAPのデモが出展された時のGMの広報資料から引用したものと記憶していますが、元データを紛失しました。そのため筆者の記憶となります
GMによるMAPの普及活動
MAPを使うメリットについては、1985年8月に日本で開催されたMAP ジャパン・ミーティング 85においてGMのMAPプログラムマネジャー Mr. M.Kaminskiが次のように説明しています。
「(筆者追加:企業の)競争力を維持するためには、自動化が必要であるということがあげられます。(中略)そして競争力を得るためには、やはり迅速に事を起こさなければなりません。これを実現するためには、(筆者追加:ラインを稼働するまでの)設置時間をできるだけ短くすることです。(中略)MAPの能力を使いますと、3分の1ほど今までより早く設置できるようになります」※2
つまりオープンな通信技術を用いてスムーズに工場内で稼働する機器を接続し、通信を実現すれば、早く工場を立ち上げることができ、その結果、自動化が進み、企業の業績に貢献できるとの了解があったわけです。
MAPの取り組みはGM内では1980年からスタートしたと聞いています。仕様自体は1984年3月に発行されたVER.2.1で大体まとまり、1988年8月に発行されたVER.3.0で一応最終版になりました。このVER.3.0以降は頻繁に仕様が変わると、機器メーカーが追従できないという理由で、普及のため6年間の仕様凍結となりました。
その間の1984年にはIBM、Hewlett-Packard(ヒューレットパッカード)、Motorola(モトローラ)、Gould(グールド)、Allen Bradley(アレンブラッドリー)、Concord Data Systems(コンコルドデータシステム)の7社がマルチベンダーの相互接続のデモを公開するまでになりました。
MAPはバスのスピードも10Mbps、コネクションはIEEE 802.4のトークン・パッシング方式※3、接続ノード数は1000以上と、仕様面から見れば、工場の通信として十分な能力を持っていました。
GMもMAPを普及させるために、MAPで通信できる能力を持つ機器以外は購入しないという購買面からの促進もしました。当時、世界最大の製造業者といわれていたGMのバックアップだけでなく、Du Pont(デュポン)、Kodak(コダック)などのユーザーも巻き込みながら、普及活動を広げていきました。
日本でも、GMを招いてMAPの説明会を1985年に開催し、1986年にIROFA(財団法人 国際ロボットFA技術センター、後のMSTC:一般社団法人 製造科学技術センター)に委員会を設置し、MAPの普及活動をサポートしました。
IROFAでは1986年から1995年までMAP委員会の各部会、WGのリーダなどに関係された日本の会社は主なところで、豊田工機、東洋エンジニアリング、清水建設、オムロン、三菱電機、東芝、日本電気(NEC)、ユアサ商事、コマツ、安川電機、横河電機、日揮、住友電工、富士電機、日本電信電話、富士通などがあり※4、産業界としてかなり大きなパワーをMAPの普及活動にかけていたことが分かります。
※2 日刊工業新聞社 雑誌「オートメーション」1985年 第30巻第14号「<特別企画> MAPの特質とそのインパクト―ジャパン・ミーティング’85から―」から引用
※3 トークン・パッシング方式とは、LAN(ローカルエリアネットワーク)のメディアアクセス制御の1つの方法で、IEEE 802.4で標準化されている。システム内の機器間でトークンと呼ばれる権利を受け渡すことで、トークンを受け取る機器はある時間内に必ず通信ができるためオートメーションなど実時間性が要求されるアプリケーショに向いているとされた
※4 IROFA 創立10周年記念特集号 1997/7 No.37「IROFA本部における10年のあゆみ(2)」からの引用
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.