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米国本社CTOから日本法人社長へ、ADIの中村勝史氏が見据える「4つ目の変化」とは組み込み開発 インタビュー(1/2 ページ)

アナログIC大手のアナログ・デバイセズ(ADI)は、コロナ禍によって半導体サプライチェーンに大きな変動が起こる中、どのような方向性で事業を進めようとしているのだろうか。同社日本法人 代表取締役社長の中村勝史氏に話を聞いた。

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 組み込み機器を設計開発する上で、マイコンをはじめとするプロセッサ、メモリなどとともに重要な役割を果たす半導体がアナログICである。さらに、アナログICは、アナログ信号とデジタル信号の変換処理などに用いられる信号処理系と、インバーターなどの電源回路に用いられるパワー半導体に分かれる。このうち信号処理系を中心に世界のアナログ半導体市場で存在感を発揮し続けているのがアナログ・デバイセズ(Analog Devices、以下ADI)である。【訂正あり】

 ADIは、海外半導体メーカーとしてははかなり早期の段階に当たる1970年に日本法人を設立して事業展開をしてきたことでも知られている。同社は現在、7万5000品種以上の製品を取り扱っているが、これは日本市場をはじめとして各国/地域や産業分野の需要を取り入れて製品を開発、投入してきた結果となっている。そのADIは、コロナ禍によって半導体サプライチェーンに大きな変動が起こる中、どのような方向性で事業を進めようとしているのだろうか。ADIで医療およびコンスーマビジネス本部担当のCTOを務めた後、2020年11月にアナログ・デバイセズ日本法人 代表取締役社長に就任した中村勝史氏に話を聞いた。

【訂正】中村氏の経歴について当初は「ADIでCTOを務めた後」としていましたが、全社をカバーするCTOではなく医療およびコンスーマビジネス本部担当のCTOであり、これに合わせて記事本文を訂正しました。

アナログ・デバイセズの中村勝史氏
アナログ・デバイセズの中村勝史氏[クリックで拡大]

ADIの事業における3つの変化点と、足元で起こりつつある4つ目の変化

MONOist 海外半導体メーカーの本社の技術トップが日本法人社長に就任するのは異例かと思います。そもそも、米国のカーネギーメロン大学で電子・コンピュータ工学博士号を取得してから研究分野に進まず、ADIに入社しようと思ったのはなぜですか。

中村氏 大学院で研究していたのはテクノロジーに対する期待が大きかったからだが、それと同時にそのテクノロジーをビジネスにつなげることにも興味があった。つまり、大学と同程度の高いレベルの研究開発をしながらビジネス製品開発につなげたかったわけだが、そんなことができるのは当時はADIしかなかった。

 1965年創業のADIは今やアナログICメーカーとしては老舗と言っていいが、技術者出身のリーダー層が経営を担ってきたことが大きな特徴で、技術マインドを持って会社の方向性を作ってきた。実際に、創業者のレイ・ステータ(Ray Stata)が2022年まで会長を務め、技術とイノベーションを重視する文化は根付いている。3代目CEOで現在は会長も兼任しているヴィンセント・ロウチ(Vincent Roche)も同じ考え方だ。

 技術を重視する一方で、顧客や社会、社員といった「人」を大切にすることもADIの事業方針で重要なところだ。人をケアすることで必然的にイノベーションが生まれる。人はアナログな存在でありデジタルから始まらない以上、アナログICメーカーであるADIが人をケアしてアナログとデジタルをつなげることでイノベーションが生まれる。そして、イノベーションが生まれれば経済が生まれる。そういった意味で、ADIは経済優先の会社ではない。

MONOist 米国本社ではどのような業務に携わっていたのでしょうか。

中村氏 1994年にコンバーター事業部の設計エンジニアとして入社して、顧客の現場に近いカスタム開発を多く手掛けて世界中を飛び回った。その後、デジタル画像処理向け製品ラインの発足に伴い、開発リーダーとしてコア技術から設計/製品開発まで広い範囲での技術業務に携わった。2015〜2019年の事業部CTOをはじめ米国本社でリーダーシップの業務を担い、2019年に日本に戻り、2020年に日本法人の社長に就任した。

 これまでADIの事業には3つの大きな変化点があったと考えている。1つ目は、1969年にアナログICの企業を買収したことだろう。ADIの創業時はオペアンプなどのアナログモジュールのメーカーだったが、この買収によって早期から注目していたアナログIC市場に参入することができた。2つ目は、1970年代に立ち上がってきたデジタル半導体市場に対応するために行ったA-DコンバーターやD-Aコンバーターの企業の買収だろう。そして3つ目は、1980年代から始まったDSP市場への参入になる。

 その後、アナログIC市場で当たり前だった多品種少量生産から、量産規模の大きな民生家電におけるデジタル化に合わせて、同一品種を大量生産する汎用ICの市場に打って出た。このために創業者のステータは、それまでの内製ファブからファウンドリでの外部委託生産の活用の道筋を開く流れを作った。ここで、TSMCにおけるCMOSプロセスに基づく民生アナログICの量産に携われたことは良い経験になった。

 直近では4つ目の変化となる動きも出ている。当社は7万5000品種の製品ラインアップがありそれぞれが洗練されているものの、システムがより複雑になっていく中で開発に時間がかかるようになっている。この問題解決が求められている。

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