なぜ電子音源が“生”の音を奏でるのか、ヤマハの歴史が生んだ新しいピアノ:小寺信良が見た革新製品の舞台裏(23)(1/4 ページ)
音の問題などで家でピアノを弾きづらい場合、練習用に電子ピアノを使うことがある。だが、やはり生楽器とは音もタッチ感も違ってしまう点がもどかしく感じる人もいるだろう。その中で、ヤマハが発表したサイレントピアノのシリーズとして「トランスアコースティックピアノ」は、電子でありながら”生ピアノ”に近づける工夫が幾つも施されている点で注目だ。
楽器を嗜(たしな)む者の課題といえば、どこで音が出せるのかというところが大きなテーマになる。特に生ピアノ(アコースティックピアノ)は、ボリューム調整ができるわけでもないので、練習できる家庭は限られる。電子ピアノがあるじゃないか、といわれるかもしれないが、「ピアノタッチ」といいつつも生ピアノとは差があり、あれでは練習にならないといわれてきた。
筆者は幼稚園の頃からヤマハ音楽教室に通い、高校になる頃にはピアノは一通り弾けたクチだが、電子ピアノは「キーボード」という認識だった。あくまで当時の感想だが、電子ピアノに慣れてしまうと、逆に生ピアノに向かうとタッチの違いから、弾きづらくなった思い出もある。
一方で、本物と遜色ない生楽器を「サイレント」にするという取り組みを長年行ってきたのが、ヤマハだ。ピアノはもちろん、ギターや管楽器もサイレント化に取り組んでおり、多くの演奏家を満足させている。そのヤマハが2022年8月に、サイレントピアノの新ラインアップを発表した。
このリリースの中に「トランスアコースティックピアノ」という聞き慣れないシリーズがある。これは一体何なのか。一介のピアノ弾きとして、詳しい話を聞きたくなった。
今回お話しを伺ったのは、ヤマハ ピアノ事業部ピアノ戦略企画グループの太田哲朗氏と、同事業部ピアノマーケティング&セールスグループの細谷一仁氏だ。
スピーカーから直接出力しない
―― ヤマハさんではサイレント楽器というシリーズを、ずいぶん前から取り組まれていますよね。
細谷一仁氏(以下、細谷) そうですね。サイレントピアノについては1993年から発売を開始していますが、それまでのサイレントピアノは、音を消して電子音源に切り替えるというものでした。それを一歩進化させて、このトランスアコースティック技術というものをピアノにはじめて採用したのが、国内では2015年のことでした。
当時をご存じかもしれませんけど、日本でもピアノの騒音問題などがある中で、当社はやはりアコースティックピアノという本格志向のユーザーに向けて、例えば音を出せる昼間は生の音で、夜はその同じピアノで音を消して練習ができるように、というところを発想の起点としてサイレントピアノを作りました。
それからライフスタイルの多様化が進んできて、住宅事情も変わってくる中で、ただ音を消せるだけじゃなくて少しは音量を出したいとか、小音量でいいから音を出しながらアコースティックピアノの音で弾きたい、という需要があることが分かりました。
じゃあそういう楽器を作るにはどうしたらいいんだろう、ということで出てきたのが「トランスアコースティックピアノ」になります。2015年に初めて発売されて、今回が3世代目です。
―― そもそも、「サイレントピアノ」と「トランスアコースティックピアノ」は何が違うんでしょう。
太田哲朗氏(以下、太田) サイレントピアノはヘッドフォンを使って周りを気にせず演奏を楽しめますが、トランスアコースティックピアノはアコースティックピアノの響きをそのままにボリューム調整できます。アコースティックピアノは鍵盤を押すとハンマーが動いて弦をたたきます。それで音が出るわけですが、トランスアコースティックピアノもサイレントピアノも、弦に当たる前にハンマーを止めることで、アコースティックの音を出さないようにしています。その代わりに電子音源を使って音を出すのですが、サイレントピアノはこの音をヘッドフォンで鳴らします。
一方、トランスアコースティックピアノは、その電子音源の信号をトランスデューサー(加振器)に送って、もともとアコースティックピアノ内にある「響板」を震わせて、音を出しています。
―― ああ、スピーカーを使ってオーディオ的に出すわけじゃないんですか。その「響板」というのは、本来の生ピアノには全てあるものなんですか。
太田 はい。その響板を震わせるトランスデューサーの出力を調整することで、アコースティックピアノなのにボリューム調整もできる、という仕組みになっています。
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