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単なる「EVシフト」「脱エンジン」ではない、なぜ「グリーンモビリティ」なのかグリーンモビリティの本質(2)(1/2 ページ)

Beyond CASEの世界においては「自社だけが勝てばよい」という視野や戦略ではなく、「企業の社会的責任」を果たす覚悟を持って“社会平和”を実現していくことがポイントになる。この中心となる概念であるグリーンモビリティの定義と必要性を本章で論じたい。

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 前章では、「Beyond CASE」の前提と、その世界および今後数十年を勝ち残るための経営方針について提起した。Beyond CASEの世界においては「自社だけが勝てばよい」という視野や戦略ではなく、「企業の社会的責任」を果たす覚悟を持って“社会平和”を実現していくことがポイントになる。この中心となる概念であるグリーンモビリティの定義と必要性を本章で論じたい。

→連載「グリーンモビリティの本質」バックナンバー

 グリーンモビリティには、グリーンスローモビリティなどの電動車を想起させる側面もあるが、この言葉は車両の形態や機能を定義するものではない。

 グリーンモビリティとは、Beyond CASEの前提となる「C」「A」「S」「E」それぞれの連動やバリューチェーン全体を包含することはもちろんのこと、クルマそのものや移動の効率化という過去そして現在のモビリティの意味合いを超え、社会コストの最小化に向けた陸・海・空の移動を通じた持続可能な社会や地球づくりの実現という概念であり、仕組みである。

 グリーンモビリティにおいて、「自社だけが勝てばよい」という戦略ではなく、よりよい社会と地球を創生していく視点がなぜ必要なのか、カーボンニュートラルを例にとって考えてみたい。

「カーボンニュートラル=パワートレインの話」ではない

 昨今のカーボンニュートラルに向けた意識の高まりは、大きなうねりとなりつつある。京都議定書で経済発展のためのCO2排出の権利を訴えた中国が、今やEV(電気自動車)立国を唱えカーボンニュートラルの旗本となっていることを、誰が20年前に予想しただろうか?

 このカーボンニュートラルを自動車業界ではパワートレインの話に置き換えがちだ。すなわち、内燃機関かEVか、0か100かの議論である。“クルマの燃料”としての電気にも長所短所があり、「ウェルトゥーホイール(Well to Wheel)」で分析、評価しなければ、真に環境負担が軽減されているのか判断はできない。

 仮に、電気で動くモーターがCO2を排出しないパワートレインだとしても、その電気エネルギーを生成する際などにそれ以上のCO2を排出しているようであれば、本末転倒であることは言うまでもない。

 カーボンニュートラルでは、資源採掘〜エネルギー生成〜利用〜廃棄までのCO2排出量を考慮する必要があるだけではない。利用の観点からその地域、用途、時間などにおける最適な移動は何かといった問いにも答えることが求められる。

 当然、パワートレインだけの話でもなく(仮にパワートレインと同義だとしても)、0か100かではなく、その国や地域、産業や時期などを含めた「すみ分け」が求められる世界であることは明白だ。

 ではなぜ、パワートレインの話に終始しがちなのか。また、すみ分けの世界を実現する動きにならないのか? 特に日本でそうなっている主な理由は、日本の自動車業界は他業界との連携が不得手である点、そして、本来の目的である社会課題の解決の実現ではなく「自社の勝ち残り」の戦略をベースにして、ビジネスを発想、構築してしまう点にある。

 “社会平和”の観点に立てば、自社単独で対応することの限界や意義の低さが浮き彫りになり、おのずと他社や他業界との連携、協調が導き出され、近視眼的な打ち手から脱却せざるを得ないはずだ。

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