エッジAIの可能性を広げる「MST」、なぜCortex-M0+マイコンでも動くのか:組み込み開発 インタビュー(2/2 ページ)
エッジAIスタートアップのエイシングは、マイコンを使って、AIによる推論実行だけでなく学習も行えるアルゴリズム「MST」を開発した。ローエンドの「Cortex-M0+」を搭載するマイコンでも動作するMSTだが、より多くのメモリ容量が求められるランダムフォレストと同等の精度が得られるという。開発の背景を同社 社長の出澤純一氏に聞いた。
DBTの“強み”を捨てることで段違いの省メモリ化を実現
新たに開発されたMSTだが、これまでにエイシングが発表したDBTとは、使用するメモリ容量以外に何が違うのだろうか。
DBTの最大の特徴は、木構造が自己組織的に成長するところにある。アダプティブなAIアルゴリズムなので、AIの課題の一つであるオーバーフィッティングを防げるのだ。例えば、一般的なAIアルゴリズムの場合、10〜20℃の温度データで学習を行っている中で、30℃や50℃といった学習に用いた範囲外の温度データが入ってくると「外挿」によって精度が大きく低下してしまうが、DBTは精度が低下しない。「木構造が自己組織的でアダプティブなので、こういった問題に対応できる」(出澤氏)。
MSTでは、省メモリ化をつきつめるため、DBTが持つ「自己組織的でアダプティブ」という特徴を捨てた。このため、学習データの入力についてはあらかじめ想定している範囲に収める必要があり、DBTほどのレベルで外挿に対応するのは難しい。
また、DBTでは入力次元数を100次元に制限しており、このため画素数がそのまま入力次元数になる画像データに対応することは難しかった。MSTは、入力次元数を制限していないためより多くの次元数でデータを入力でき、やろうと思えば画像データに対応することも可能だ。ただし、画像データなどを扱う場合はMBオーダーのメモリ容量が必要になるので、MSTの省メモリという強みは生かせない。基本的には、センサーやモーターなどの時系列データを対象とするのが最適だろう。さらに、MSTはDBTと同様に、新たな入力データを用いてAIアルゴリズムをアップデートする追加学習にも対応している。
出澤氏は「これまで用いられていたランダムフォレストの置き換えにMSTを提案できるだろう。1000分の1以下という省メモリ化や、Cortex-M0+でも動くという特徴は、ユーザーにとっても分かりやすいメリットになるのではないか」と説明する。
MSTは、既に10数社以上から実際の案件につながるレベルの引き合いが来ているという。これらの1件はPoC(概念実証)の段階に入っており、今後も採用は広がっていきそうだ。
エッジAIのシンクタンク「E-ARC」を立ち上げ
エイシングは、MSTやDBT、そして「SARF(Self Adaptive Random Forest)」などから成る木構造のAIアルゴリズム「AiiR(AI in Real-time)シリーズ」を展開しており、これらのライセンスによって事業を構築している。
出澤氏は「AIスタートアップの多くは、売上高を伸ばすためにAIの受託開発を手掛けることが多い。当社はできるだけAIの受託開発を行わず、AIのライセンス販売で事業を成り立たせていきたいと考えている」と語る。
エイシングのAiiRシリーズは、木構造による追加学習が大きな特徴であり強みだが、逆に言うと競合も少ない。「競争が激しいとその分だけ顧客に多くの情報が行きわたるが、AiiRシリーズの強みとなる木構造による追加学習をはじめとするエッジAIは、競合が少ないこともあってまだ広く知られていない。当社がライセンス販売を拡大するためにも、まずはエッジAI全体の技術情報を広く発信する必要がある」(出澤氏)という。
そこで2020年5月に立ち上げたのが、エッジAI領域の市場調査機関「E-ARC(Edge AI Research Center)」である。E-ARCは、エイシングのポジショントークとならないよう心掛けながら、エッジAIに関する論文などを定期的に発表している。
出澤氏は「E-ARCは10〜20年先を見越した取り組みだ。Armが提唱する、センサーなどの末端の機器にAIが組み込まれていく『エンドポイントAI』というコンセプトがデファクトになっている未来に向けたシンクタンクという志で進めている。広めることでエッジAIがコモディティ化するというリスクもあるが、当社はその中でも技術を磨き続け、毎年1つは新しいAIアルゴリズムを発表するなど常に研さんしていくことが重要。たとえエッジAIがコモディティ化しても、最先端は生き残るからだ」と述べている。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 組み込みAIは必要不可欠な技術へ、推論に加えて学習も視野に
2017年初時点では芽吹きつつあった程度の組み込みAI。今や大きな幹にまで成長しつつあり、2019年からは、組み込み機器を開発する上で組み込みAIは当たり前の存在になっていきそうだ。 - ラズパイゼロで推論も学習もできる組み込みAI「DBT」、“AIチップ”で開発容易に
AIベンチャーのエイシングが、組み込み機器などのプロセッサでAIの推論実行だけでなく学習も行える独自技術「DBT」について説明。このDBTによるアプリケーション開発を容易に行えるAIモジュール「AiiR(エアー)チップ」を開発したと発表した。 - リアルタイムに学習できるエッジAIが進化、メモリがKBレベルのマイコンにも対応
エイシングは新たなエッジAIアルゴリズム「MST」を開発した。これまでに発表した「DBT」や「SARF」などと比べて使用するメモリを大幅に削減できるため、フラッシュメモリやSRAMの容量がKBレベルの小型マイコンにも実装できる。 - Armが提唱する「エンドポイントAI」の処理性能は従来比で最大480倍に
Armがマイコン向けプロセッサコアIP「Cortex-Mシリーズ」の最新プロダクト「Cortex-M55」と、Cortex-Mシリーズとの組み合わせにより機械学習ベースの推論アルゴリズムを効率的に実行できるNPU「Ethos-U55」を発表。Cortex-M55とEthos-U55を組み合わせた場合、現行の「Cortex-M33」と比べて推論アルゴリズムの処理性能は最大480になる。 - 「Jetson Xavier NX」で組み込みAIを試す
2020年5月14日に行われたNVIDIAの「GTC 2020」の基調講演で発売がアナウンスされた、組み込みAIボード「Jetsonシリーズ」の最新製品となる「Jetson Xavier NX」。「Jetson Nano」の連載を担当した技術ライターの大原雄介氏に、Jetson Xavier NXの開発者キットをレビューしてもらった。 - デバイスへの最適化を自動実行、エッジAIアプリの開発を10倍高速化する開発基盤
フィックスターズは2021年1月22日、カメラなどに搭載するエッジAIアプリケーション開発プラットフォーム「GENESIS DevEnv」の製品版を公開すると発表した。CPUやGPUなど各種デバイスを手元にそろえることなく、コードの自動最適化が行える。この他、エッジAIアプリ開発のひな型となるテンプレートの活用などで、開発工程の自動化や省力化を実現する。