目指すは「義足界のテスラ」、元ソニー技術者が挑戦するロボット義足開発:モノづくりスタートアップ開発物語(8)(2/3 ページ)
モノづくり施設「DMM.make AKIBA」を活用したモノづくりスタートアップの開発秘話をお送りする本連載。第8回は、ロボティクス技術で義足をより使いやすいものに変革しようと研究開発を行うBionicMを紹介する。自身も義足を使用する同社CEOの孫小軍氏は、階段の昇降も容易く、かつ、服で隠す必要のない“カッコいい”デザインの義足を開発したいと意気込む。
「便利な義足」にはロボット化が不可欠
――小学校3年生のときに右足を切断したと聞きました。
孫小軍氏(以下、孫氏) はい、9歳のときです。原因は骨肉腫でした。私の実家は中国貴州省の田舎にある農家でしたが、足が不自由になったことで肉体労働の道が閉ざされました。その分、必死に勉強をしました。病状が判明したころはクラスでも下位の成績でしたが、小学5年生で学年トップになり、2006年に湖北省・武漢の華中科技大学に入学しました。
将来を考えるきっかけが生まれたのは、大学1年生のときの講演会です。「絶望の中にあっても希望を追求すれば、人生は必ず輝く」という言葉を聞き、自分は将来何をすべきか考えました。
――その後、日本にはどのような関わりでいらっしゃったのでしょうか。
孫氏 華中科技大学に在学中に交換留学で東北大学に来て1年間学びました。そして、大学卒業後に東京大学大学院に進学しました。大学院では燃料電池の研究をしていましたが、そのころ、公的な補助金をもらって初めて義足を作りました。最初に作った義足は、ダンパーとバネを組み合わせた従来型のものです。それでも、自分で試しに使ってみると、それまで松葉づえで生活していたので、「両手が使える!」と大はしゃぎしたのを覚えています。
でも使っていくうちに、階段を上がるときの不自由さや、わずかな段差でもつま先が引っ掛かって膝折れすることが相次ぎ、「便利な義足が欲しい」と思うようになりました。「自分の手で満足できる義足を作るためにはロボット化が必要だ」と気付いたのはそのころです。大学院修了後はソニーへ就職し、スピーカーを作る部署に配属され、仕事自体は楽しかったですが、自身の夢をかなえるため、2015年に東大大学院の情報システム工学研究室(JSK)に戻りました。
大学院の仲間と共にロボット化へ挑戦
――大学院での義足作りは順調でしたか。
孫氏 JSKにはロボティクスを専門的に研究する先輩たちがいました。彼らに階段の上り下りがつらいことや、わずかな段差でも膝折れすることを伝えると、いろいろアドバイスをしてくれました。
その意見を踏まえて、すぐにロボット義足の試作品を作りました。最初はセンサーやモーターがむき出しになっていましたが、その後、アルミ製のカバーを作り、センサーやモーターを内部に入れ込みました。そして、義足を使っている人に実際に使ってもらったのです。
――反応はどうでしたか。
孫氏 大きすぎる、重すぎる、といわれてしまいました。最大の問題はパワーが足りなかったことです。階段の上り下りを自然にするには、トルクが90N・m必要なのですが、全然足りませんでした。
サイズの小型化にはモーターを小さくする必要がありました。モーターは自作していなかったので、メーカーに小型、軽量化の相談をしました。ただ、小型化を進めると、当然、今度はパワーダウンしてしまうのでそのバランスを取るのが難しかったです。
結局、小型、軽量化したモーターを作成したのですが、義足に組み込むときに部品が収まらないという設計上の別の問題が発覚して、悪戦苦闘しました。ただ、そうした模索を繰り返す中で、制御方法についても改善、改良を行えたのは良かったことだと思います。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.