「ひとりメーカー」Bsizeが生き残ったシンプルな理由:ポスト・メイカームーブメント(1)(1/5 ページ)
2010年代に起きた「メイカームーブメント」を振り返るとともに、2020年代に始まる「ポスト・メイカームーブメント」の鍵となる企業や技術、コミュニティーを紹介する連載。ハードウェアの量産や経営に苦労するスタートアップがいる中、モノを作り続け、成長につなげることができているのはなぜか? 日本のメイカームーブメントの先駆けとして知られ、当時「ひとりメーカー」としてメディアにも大きく取り上げられた、Bsizeの八木啓太氏にお話を伺った。
2010年代に起きた「メイカームーブメント」は、製造業にとっては変革の起点だった。
2009年にStratasys(ストラタシス)が保有していたFDM(熱融解積層)方式の3Dプリンタに関する特許が切れると、それまで数百万円もしていた3Dプリンタは2010年代後半には家庭用ゲーム機と同じ価格帯にまで下がった。また、オープンソースの概念がハードウェアにも浸透した。「Arduino」や「Raspberry Pi」といったシングルボードコンピュータが瞬く間に普及し、3Dプリンタと併せて試作コストを劇的に下げることに一役買った。
こうした環境を手に入れ、作りたいものを作れるようになった個人の作り手は「Maker(メイカー)」と呼ばれ、ブログやSNSを通じて作品をシェアするようになった。さらに、オンラインだけでなく「FabLab」や「TechShop」といった会員制工房や、「Maker Faire」などの作品展示/体験イベントを通じた交流の機会も世界中に広がった。
しかし、全てがうまくいったわけではなかった。メイカームーブメントに付随するテクノロジーやビジネスも、他の技術やトレンドと同様に「ハイプ・サイクル」の波を上り詰めた後に下降する。
「メイカームーブメント」は終わってしまったのか
2010年代のメイカームーブメントは、製造業の“全て”を変えたわけではなかった。
自らの「作品」を「製品」へと昇華すべく、量産に踏み切るMakerや、それを支援するビジネスも数多く誕生した。しかし、Tシャツ、デニム姿で工場を訪れるスタートアップと、それまで大企業からの案件を受けていた量産工場とのギャップを埋めるのは、容易なことではなかった。
実際、製品化を目指すスタートアップが、3Dプリンタと電子工作用の部品で開発した試作を工場に持ち込んだが、金型での製造に適さない形状であったり、量産には不向きな部品が使われていたりといった理由から、「冷たくあしらわれた」という話も枚挙にいとまがない。
「作ってみた」から「作り続ける」へのハードルは非常に高い。一度は量産できたとしても、初回ロットをさばくのに苦戦し、2つ目に着手すらできず、事業停止に追い込まれてしまったというスタートアップも少なくない。
Maker向けのビジネスも厳しい状況だ。2011〜2017年ごろにかけて爆発的に増えた工房(メイカースペース)は、ここ数年、閉鎖している数の方が多い。残っている工房もほとんどは赤字経営のままだ。メイカースペースの象徴的な存在だったTechShopは2017年に破産。また、Maker Faireの運営やライセンス管理を行っていたMaker Mediaも2019年に従業員全員を解雇した。現在は再出発を果たしているが、米国内のMaker Faire再開は不透明なままである。日本国内においても、TechShopの破産後も運営を継続してきた「TechShop Tokyo」が2020年2月29日をもって閉店することを発表している。
果たして、メイカームーブメントは終わってしまったのだろうか。答えは「ノー」だ。ムーブメントは息絶えることなく、既に次のステージへと歩みを進めており、日本でもその萌芽は進んでいる。
前置きが長くなってしまったが、本連載では2010年代のメイカームーブメントを振り返るとともに、2020年代に始まる“ポスト・メイカームーブメント”の鍵となる企業や技術、コミュニティーを紹介していきたい。
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