AUTOSAR人材の育成に向けた提言(後編)「研修」の前提を一緒に見直しませんか?:AUTOSARを使いこなす(12)(2/3 ページ)
車載ソフトウェアを扱う上で既に必要不可欠なものとなっているAUTOSAR。このAUTOSARを「使いこなす」にはどうすればいいのだろうか。連載の第11回では、AUTOSARの人材育成に関わる「研修」の現状について取り上げる。
既存のスキル基準
共通認識となりうる立場にあるものとしては、IPA(情報処理推進機構)の組み込みスキル標準(ETSS)※2)や、JasPar版ETSS※3)があります。しかし、少なくともこれらを使って前提知識を記述しているものは見かけたことがありません。そもそも、これらが開発された頃はまだAUTOSARがR2.xやR3.xの時代(注:R4.0.1のリリース時期が約10年前の2009年12月)ですし、国内でもAUTOSARが普及していなかったこともあるためか、JasPar版でもAUTOSARに関係したスキル面の言及はありません。
そしてつい最近、2019年3月29日に自動走行ソフトウェアスキル標準※4)が発行されましたが、これも、JasPar版ETSSを踏襲したもので、同様にAUTOSARに関係したスキル面の言及はありません。今後これがメンテナンスされ続け、普及していくのであれば、この問題の解決の糸口にはなるかもしれません。ただ、カリキュラム設計者の立場としては、現状のものを用いて研修の前提知識を記述するのには少々難しさを感じてはいますが……。
※2)IPAの組み込みスキル標準(ETSS):2004年版「組込みソフトウェア産業実態調査」報告書で明らかにされた組み込みソフトウェア開発者不足問題の解決のために、組み込みソフトウェア開発者の育成を目的として開発され、2007〜2008年に発行、改訂されたもので、組み込みソフトウェア開発に必要なスキルを明確化し、体系化したもの(IPAのETSS関連Webページより。2019年8月1日に閲覧内容を要約)。
※3)JasPar版ETSSガイドver.1.0:JasParがETSSの内容を自動車業界向けにカスタマイズし、2010年に発行したガイド。JasParのWebサイトで入手可能(2019年8月1日時点)。
※4)自動走行ソフト開発スキル標準策定作業部会による自動走行ソフトウェアスキル標準(2019年8月1日時点)。なお、JasPar版ETSSで追加された「想定されるスキルレベルにおいて持っているべき知識の度合い」は自動走行ソフトウェアスキル標準ではそのままでは継承されていません。
なお、自動走行ソフトウェアスキル標準でのスキルレベルは以下のように定義されています(ETSSでも同様)。
- レベル4(最上級)[業界トップ水準]新たな技術を開発できる
- レベル3(上級)[指導者レベル/メンター]作業を分析し改善・改良できる
- レベル2(中級)[一人前/プロフェッショナル]自律的に作業を遂行できる
- レベル1(初級)[半人前/チャレンジャー]支援のもとに作業を遂行できる
しかし、レベル2に到達するだけでも「タレント」と呼べる分野も存在するのではないでしょうか。実際、AUTOSARのような規模が大きいものでは広範な知識が求められるため、自立して作業を遂行できる、つまり、「独り立ち」できたらそれだけでも十分「タレント」です(AUTOSARの標準化メンバーの多くも同様なことを言っています)。分野が小分けにされていればこのようなレベル評価で機能するかもしれませんが、分け方を間違えれば今度は「作業」の単位が意味を為さなくなります。
また逆に、AUTOSAR導入の側面の1つは「ブラックボックス化」です。中身を知らなくても使える部分も当然出てきます。「関連知識の幅の広さ」という要素への考慮や、「各レベルの中間レベルの設定」(階段の段数を増やしてでも、一段の高さを引き下げる)という面や、「AUTOSARを使うことで、ブラックボックス扱いしてよくなる(知らなくても良い)」という緩和の面※5)で、今後改良の余地があるのではないかと考えます。
※5)上記の「緩和」は、ツール類によるブラックボックス化にも拡張可能です(「このツールを使うことで、ブラックボックス扱いできる」)。こうすれば、ツール類がもたらす効用を、「スキルの置き換え」という形で表現できるようになります。もちろん、あるツール(特に安全要求の検証などに関わるもの)を利用するに当たって必要な知識の記述にも役立つことでしょう。
研修の想定と実際の受講者とのギャップの影響
さて、もし、受講者がある研修内容を理解するために必要な前提知識を持たなかった(あるいはそれに気付けなかった)とすると、どうなるでしょう。
受講者の一部の方々は、前提知識がないまま進んでしまおうとするかもしれません。当然、研修の目的を達成できなくなる可能性は高まります。これは、受講者だけではなく講師にとってもマイナス評価につながりうることで、誰にとっても損失です。
もちろん、研修についていくために勇気を振り絞って質問をする方もいらっしゃいます。先に誤解を避けるためにあえて申し上げますが、筆者はこういった質問でも心から歓迎しますし、時間がある限り対応したいと願っています。
しかし、講師は研修中にそれらの補足説明に時間を割くわけですから、補足をしつつ研修の終了時刻を守ろうとすると、今度はどうしても本題に割くための時間も減ってしまいます。遠隔地からの受講者がいらっしゃる場合には、終了時刻を遅らせることが難しいことも少なくありません。代わりにペースを上げたとすれば、受講者は「一層多くのことを短時間に詰め込まれる」ことになり、限界を超えてしまえば、やはり研修の効果は薄れます。
また、補足を必要としない受講者にとっては、既に知っている内容、下手をすれば「アタリマエ」のことを繰り返し聞かされることになり退屈してしまいますし、その雰囲気を感じ取れてしまうだけの感度をお持ちの受講者は、質問をし理解することを諦めてしまいかねません。
ですから、カリキュラムの設計を行う段階で、受講者に対する想定を絞り込むのですが、絞りすぎれば今度は申し込みのハードルが上がり、受講をためらう人が出てきてしまいます。そして、ハードルを下げれば当然ついてくることのできない方々が増えてしまいかねません。しっかり考えて設計し、正直に想定をお伝えしようとすればするほどマイナスになりかねない。悩むところです。
受講者の方々が、表面的な「低いハードル」だけを追い求めてしまうことは、このような不利益にもつながりかねません。このことをぜひご留意いただきたいと思います。
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