都市部への人口集中、観光客の増加……今こそ新しいモビリティの創造を!:和田憲一郎の電動化新時代!(31)(2/4 ページ)
中国が建設を進める新しい都市「雄安新区」を2018年末に訪問した際、このプロジェクトは「国家千年の大計」と聞いた。千年といえば、日本にも千年続くことを計画して作られた都がある。平安京そして現在の京都である。平安京は、794年に遷都以来、その後京都として現在で1225年になる。今回は、千年の大計と呼ばれる中国の雄安新区、そして日本の平安京(京都)における街づくりの在り方から、2019年の初頭の話題として、将来のモビリティ像について考えてみたい。
一方、日本の都、平安京は、桓武天皇が遷都した長岡京が大水害によりわずか10年で放棄されたことにより、794年に遷都された。唐の長安をモデルに、「条坊制」と呼ばれる碁盤目状の都市を東西4.5km、南北5.2kmに渡って長方形に建設された。文献によれば、都市計画は「延喜式(えんぎしき)」と呼ばれる法令集で規定され、大路は幅30m、小路は12mあったようだ。
さらに右京と左京を分断する朱雀大路は儀式も兼ねてか幅82mもあったとのこと。当時の移動手段は馬か牛車であるにもかかわらず、大路、小路とも現代でも想像を越える道幅を建設している。現在の京都では、当初に対し既に道幅も狭くなっているが、碁盤目状の条坊制はまだ生きており、中心部は東西南北に規則正しい都市づくりとなっている。
しかし、同じ千年の都を目指した雄安新区と平安京(京都)を見比べた時、はっと気づいたことがある。中国はこれから千年の都を築こうとしている。それに対し、日本では1200年前に、先達は理想の都を築こうと高き理想を持ち、実現を目指した。当時は十分な測量技術や土木機械もなかったが、巨大な平安京を建設し、それが現在の京都につながっている。
それに引き替え、現代はコンピュータが発達し、アイデアと意思さえあれば、都市を設計し、実現できる時代になっている。しかし、どんなに開発スピードが早まっても、極めて複雑なものや大きな視点で考えたものは、そんな短期間に形にできるわけではない。いくらコンピュータが発達したといっても、それを動かすのは人間であり、その本質は何も変わっていないだろう。
都市計画はビルの耐久性などを考慮すると、先を読んでも50年といわれており、私が携わっていた自動車業界では、自分自身への戒めも含めて、将来像はせいぜい5年から10年先である。そう考えてくると、現代はあまりにも目先の動きに惑わされ、大きな展望を描きにくくなってきているのではないだろうか。
なぜこのような話をするかといえば、2018年後半からモビリティのサービス化を示すMaaS(Mobility-as-a-Service、自動車などの移動手段をサービスとして利用すること)が話題になった。モビリティの予約と決済がシームレスで可能で利便性が良いとして、日本でも2019年から本格的なビジネスが始まろうとしている。筆者もこれに関してフィンランドなど発祥地を訪問し深掘りしてみた(※1)。その結果導き出した結論は、MaaSというのは、それを単独で進めていくのではなく、最初にその都市の有るべき姿を描き、バックキャスティングで、その都市交通の在り方やMaaSをどうすべきなのかを議論していくことが望ましいのではないかと考えている。
(※1)関連記事:CASEはMaaSではない、MaaS実現のための5つの要件
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