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ロータリー、Zoom-ZoomからSKYACTIVへ、世界シェア2%のマツダが選んだ道MF-Tokyo 2017 記念講演(1/2 ページ)

鍛圧機械や塑性加工技術の総合展示会「MF-Tokyo 2017 第5回プレス・板金・フォーミング展」の開幕記念講演にマツダ 取締役専務執行役員の菖蒲田清孝氏が登壇。「マツダのブランド戦略とモノ造り革新について」をテーマに同社の商品づくりのコンセプトと技術革新へのこだわりなどを紹介した。

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マツダの菖蒲田清孝氏
マツダの菖蒲田清孝氏

 鍛圧機械や塑性加工技術の総合展示会「MF-Tokyo 2017 第5回プレス・板金・フォーミング展」(2017年7月12〜15日、東京ビッグサイト)の開幕記念講演にマツダ 取締役専務執行役員の菖蒲田清孝氏が登壇。「マツダのブランド戦略とモノ造り革新について」をテーマに同社の商品づくりのコンセプトと技術革新へのこだわりなどを紹介した。

 マツダは1920年に「東洋コルク工業」として設立。当時はワインボトルの栓となるコルクを製造していた。1927年に東洋工業へと社名変更し、1929年から自動車産業へ進出(1984年にマツダに社名変更した)。まずは二輪車から生産を開始しており、当時の販売価格は350〜380円だったという。

 現在では販売台数が155万9000台(2016年度)まで成長した。このうち北米向けが43万8000台、欧州向けは25万7000台、中国向けで23万5000台と84%を海外市場が占めている。世界シェアは2%にすぎないが、菖蒲田氏は「マツダ車の全てのユーザーに、走る喜びと優れた環境安全性能を提供する。規模は大きくなくても、One and Onlyの光り輝く存在を目指すことを考えて日々活動している」と説明。「モノづくりで世界に貢献する」というマツダの原点を紹介した。

フォードが与えたきっかけ

 マツダはロータリーエンジンなど業界の定石を打ち破る商品を次々と生み出してきた一方で、経営面では浮き沈みを繰り返した。1970〜1990年代には企業規模の拡大を目指し、国内の販売網を大手に並みに軽自動車から高級車まで販売チャネル5つを設けた。しかし、競争力を保つことができずに逆にブランドイメージの低下につながった。

コスモスポーツに搭載したロータリーエンジン「L10A型」(左)。ロータリーエンジン研究部の様子(右)(クリックして拡大) 出典:マツダ

 そうした中で、「支援してくれたフォード(Ford Motor)がブランドイメージを考え直すきっかけをくれた」(菖蒲田氏)という。マツダはフォード傘下で2007年に技術開発の長期ビジョン「サスティナブルZoom-Zoom宣言」を発表した。

 Zoom-Zoomはクルマが走る音をあらわす幼児語で、日本語では「ブーブー」にあたる。「子どものころに感じた自動車への感動を持ち合わせる人たちに、走る喜びと優れた環境安全性能を提供すること」(菖蒲田氏)を目指すものだ。企業文化を養分として吸い上げた木が、環境と安全という2つの太い枝とZoom-Zoomを体現した梢を成長させ続けていくことを描いている。

 サスティナブルZoom-Zoom宣言の翌年である2008年、マツダは“太い枝”の1つである環境技術について普及の見通しを立てた。年を追うごとにエレクトロニクス技術が増えていくが、ハイブリッドシステムを含めベースエンジン(内燃機関)もまだ大半を占めると見込んだ。

環境と安全という2つの太い枝を持ったZoom-Zoomの木が成長していく
環境と安全という2つの太い枝を持ったZoom-Zoomの木が成長していく(クリックして拡大) 出典:マツダ

 そこで、マツダは「エンジンやトランスミッション、シャシー、ボディーなどのベース技術を徹底的に追求し、その上でエレクトロニクス技術の段階的導入をしていくという、ビルディングブロック戦略を取った」(菖蒲田氏)。

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