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成熟したアナログ技術を武器に――イサハヤ電子オンリーワン技術×MONOist転職(10)(1/3 ページ)

日本の“オンリーワンなモノづくり技術”にフォーカスしていく連載の第10回。今回は、アナログ技術の需要が急増する中で“アナログ専業の国産半導体メーカー”として存在感を示しているイサハヤ電子を紹介する。

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 1980年代から台頭してきたデジタルエレクトロニクスの潮流や、現場経験での積み重ねが必須で職人芸とも言われるアナログ設計の特殊性もあり、近年はアナログエンジニアが慢性的に不足している。その一方で、太陽光発電や風力発電などのパワーマネジメント、EV(電気自動車)、医療機器、省エネ製品群の電源制御などでアナログ技術の需要が急増している。

 そのようなモノづくり業界の中で、稀有な“アナログ専業の国産半導体メーカー”としてその存在感を示しているのが、長崎県諫早市に本社を構えるイサハヤ電子だ。年商100億円企業へと成長した同社の、アナログ技術を武器にしたオンリーワン戦略を探ってみた。

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イサハヤ電子(長崎県諫早市)

三菱電機系列から自主事業へ

 同社はアナログ半導体の開発、設計、製造、販売まで一貫して行っており、現在社員数はグループ全体で1214人(2017年1月末)、2015年度の売り上げは101億円(連結ベース)、2016年度は2桁成長の対前年比10.9%増となる112億円になる見込みだ。

 同社の前身である諫早電子工業の設立は1973年(昭和48年)、三菱電機の系列企業として小信号トランジスタの生産(月産400万個体制)から操業を開始した。当初は労働集約型であったため、同社会長 兼 社長の井嵜春生氏が長崎出身だったこともあり、地元で人が集めやすい長崎の地に拠点を構えたという。諫早市や長崎県など自治体にも協力をもらい、長崎県誘致企業条例の適用企業第1号としてスタートした。

 諫早電子工業が製造部門の拠点である一方で、1985年には設計部門の関連会社(アイ・ディー・シー)を大阪に設立していた。その両社が1991年に併合、社名をイサハヤ電子とした。そして2003年に小信号トランジスタとハイブリッドICを三菱電機から事業移譲、この年に開発から販売まで自社ブランドで行う自主事業がスタートした。

 同じ年の2003年の4月に、三菱電機は日立製作所と両社の半導体部門を分社・統合した新会社「ルネサス テクノロジ」を設立していた。三菱電機との関わりが強かったイサハヤ電子にもこのタイミングでグループ参加の打診があったが、同社は自主事業としての道を選んだ。

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イサハヤ電子 執行役員半導体事業本部 本部長の瀬上昭夫氏

 大企業傘下という安定した道を選ばず、自社ブランドを進んだ理由について同社執行役員半導体事業本部 本部長の瀬上昭夫氏は「当時のルネサスはマイコンがメインだった。一方で、われわれの主力事業であるハイブリッドICやトランジスタといったアナログ半導体は“成熟品”という位置付け。最先端のマイコンをメインでやるような会社と一緒にやっても成長はできないと判断した」と振り返る。

 また、同社は前述のように1991年の開発・製造併合を皮切りに10数年をかけて一気通貫の体制を着々と築き上げていた。さらに製品企画から開発設計、生産技術、品質技術まで自社で構築しようという活動を推進している最中でもあった。「ルネサスの傘下になると、こういった取り組みがみんな分解してしまうと思った」(瀬上氏)。自主事業の“勝算”というよりもルネサス傘下での“末路”を懸念し、淘汰されるよりも自分で道を切り開く方に活路を見出したのだ。

 自主事業を決心してからは生産拠点の海外移転を積極的に展開。2004年に中国・深センに生産拠点を設立した他、2013年にはフィリピンのラグナでパワーモジュール製品の生産を開始。香港、アメリカ、シンガポールで販売拠点を設置するなど海外での販売網の拡充にも力を入れ、自社の競争力を高めていった。

 ルネサス テクノロジは2010年にNECエレクトロニクスと経営統合してルネサス エレクトロニクスを設立。大手半導体部門3社が集結した日の丸連合だったが、リーマンショック以降の半導体不況で経営危機に直面し、今なお経営改革を進めている最中だ。そのルネサスが2016年に成長戦略の切り札として買収したIntersilは、アナログ半導体を主力事業とする企業。このことからも、現在の市場においてアナログ技術の重要性が高まっていることが分かる。

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